「全ては愛の中のことだった」を前提に、自分史を書きますね。

 

自分史(序章)

 

物心つく頃(3才~4才頃でしょうか)には、現在の自分とそう変わらないイシキが

自分の身体の中に息づいていて、思考を巡らしていました。

幼い自分は、子どものくせに子どもらしくない変なことに違いない、

これは誰にも知られてはいけないことだと思いました。

 

一体自分は何なのだろう...

大体、自分が何なのかなんて考えている子どもって、おかしいんじゃないか。

いっそこの自分を消したいという気持ちが湧きあがってくるのです。

 

それでいて、死ぬとどうなるのだろうという恐怖が強くあり、

死について一度頭をよぎると、なかなかそれを拭うことができなくなり

朝まで眠れなくなることもしばしば...。

(不眠症でもあり、眠れないままに髪を抜く抜毛症でもありました。)

 

死ぬのになんで生きているのだろう。

死ぬのを分かっていて、それまで生きていくなんて、

なんて耐えがたいことだろう...。

みんななんとも思わないのだろうか。

そしてやはり、そんなことをいつも心の中で考えている子どもって

相当おかしいのだろう。

こんなこと考えたくないのに考えてしまう自分が苦しい。

いっそ消えてしまいたい。

でも、死ぬのは怖いの堂々巡り...。

 

またこの頃、私はどの自分をどのように出せばいいのか分からず、

何をどう話していいのか、外の世界の中で全く言葉が出てきませんでした。

場面緘黙症というものでした。

 

自分の意思と関係なく、誰かに何かを言わなければならない場面になると

喉が閉まったような感じになり、声の出し方が分からなくなるのです。

何を言えばいいのかは頭の中にあるのに

(例えば、「はい」と返事するとか、「トイレに行きたいです」と先生に伝えるとか。

また、順番に何かを話すとか。)

言おうとすると、喉に鉛が詰まったような感じになり

何も発することができません。

目の前の人が、困った顔をしたり、さらに何か聞いてきても

どうすることもできず、ただただ、自分の不甲斐なさや情けなさを感じるだけです。

 

どうして、人が普通にできることができないんだろう。

なんて自分は弱いのだろう。

こんな情けなく恥ずかしい自分を

誰にも気づかれないように隠さなければならない....

(と思いながら、露呈していたという矛盾を生きていたんですね。)

 

それが私の心が最初に感じていた、私の原像だったことを思い出します。

場面緘黙の症状は、幼稚園に上がった頃から小学4年生まで続きました。

 

場面緘黙は、言葉が出ないだけで、内側では色んな思いが巡っているし、

色んなことが分かっているし、何をどう言えばいいのかも分かっていたりします。

分からなくて言えないのではないんですよね。

 

この体験は、私が大人になって、

緊張気味の子どもだったり、場面緘黙気味の子どもたちと接するときに功を奏しました。

言葉のキャッチボールの軌跡が外側に見えなくても、

内側にあるその軌跡を通してキャッチボールをしていく...。

一見、見えないけれど内側に確かにあるという根拠のない安心に繋がったのです。

 

外側のコミュニケーションの形(沈黙)にとらわれず、

分からないといううろたえや不自然な気遣いも湧かず、どこか自然体でいられることは、

他でもない私自身にとって居心地よいものでした。

その安心領域の中で少しずつ繋がっていける気楽さが、実はとても大切なものでした。

 

また、言葉によるコミュニケーションが成り立つ関係であっても、

内なる声に繋がる、一見目には見えない軌跡があり

それは誰にとっても、実はとても大切なものなのだということにも気づきました。

 

全ては貴重な体験で、私にとってなくてはならないものだったことを思います。

そして絶望も弱さも恥も怖さも、味わうべくして味わうものだった...。

それを味わうことが、矛盾するようだけれど、

根拠がないけれどなにか「分かる」「知っている」という感覚(安心)に繋がる根源だったのです。

 

 

味わいたかったのだろうという、そこはかとない確信を今は感じます。

全ては大丈夫の上にありながらも

一度そんな信頼からも、何もかもから手を離すとどうなるのか...

しかし、この時の自分にとっては、

それはまるで、パズルの1ピースだけで生きていくような心もちでした。

 

 

自分史②に続きます。