悩むのは、自分を自分と思いすぎるから | 菅 美智恵 BLOG

菅 美智恵 BLOG

イタリアに居住。体験型の意識のワーク『秘行』を考案。
奇妙な人生を綴った「義理歩兵自伝」他、
「裏地伝」「三年計画・結婚の誓い【毎日投稿】」
「男と女の往復書簡」などをnoteのマガジンで連載。

質問箱にいただくお悩みを見ていて思うのですが、
ほとんどの悩みに共通することって、

ほとんどの人に起こりそうなことで、
かつ簡単な解決が見えていないことに
起因しています。

どういうことかと言うと、
人の悩みってそんなに種類がなくて、
だいたい人間関係かお金か能力値に
関することなんです。

ひとつひとつのケースに
微々たる違いがあるとしても、
ほとんどの人の悩みが、
他の人にも起こりうる
ありふれたものばかりなんですね。

それで、同じような事が起こっているのに
直ぐに解決に至って悩みにならない人と、
ずっと悩み続ける人がいるわけです。

で、このずっと悩み続ける人って
どうなっているのかというと、

「自分のことを自分だと思いすぎ」
だということです。
 
これは誰にでも肌感覚でわかることだと思うんですが、
わたしたちは、
自分のことを特別に扱いすぎる。
そしてそうやって自分への執着が強くなればなるほど、
冷静な判断ができなくなってくるんですよね。
 
だからわたしたちって、
他者の悩みには簡単に答えられるし、
他者が悩んでいるときは励ませるし、
他者の悩みについては
バカだなあ大したことないじゃないか、
と思えたりするのですが、
 
でも自分のこととなると、
とたんにそれができなくなる。
自分には解決の能力があるのに、
それが使えなくなるということです。
 
自分のことを他人のように
見られるようになるのって
何がいいのかと言うと、
ここに対する根本解決になるということです。

お釈迦さまも自分と他人の境界線の
ない状態について語っていますよね。
これって、メリットばかりなのです。
 
秘行のいいところは、と訊かれたら、
ひとつはこれなんですね。
もちろん、完全にとはいかない。
けれども、自分で抜けたり
ゆるめたりができるようになる。

いわば冷静で肝の据わった人って、
自分のことも一人の人物として
客観視できているので、

強い執着に囚われて
ギチギチになってしまわないということ。

これが使える人って一生使えるので、
一生そういう囚われ方をしなくて
済むようになるんです。

秘行者さんにとっては、
自分というのは他者と同じ、
ひとりの人類に見えています。

わたしたちは天上天下唯我独尊。
宇宙でたったひとりの存在。
で、それ、事実として確かなことではありますが、

それをこの世で最も
重要視しているのって
自分だけですよねって話なのです。

たしかに宇宙唯一の貴重な存在であり、

同時にただの価値のない凡人です。

価値がないって幸せなこと。

わたしたちは他者と何ら変わりありません。
死んでもなんら問題などではない、
どうでも良い存在なんですよ。

だから自由なの。
死んだら困る人だから生きなきゃいけない、
じゃ困る。

生きるのが、価値があるからじゃ
困るでしょう。

そのことを当たり前に思える人が
自分の問題も、他者の問題のように見える人。

秘行のコースは、
これを身に着けたい人のためのコースです。