※facebook過去記事の転載です。
駅での失敗が胸に刺さったまま、
デパートにたどり着いてホッとしたところで、
またまたさらなる驚きに見舞われました。
まず、商品の陳列が・・・・・・陳列がっ!!
すべてのものが個装されて、
見事にずらーーーっと、
ちゃーんと綺麗ーーーーに
並んでいるんです。
うぉあーーーなにこれ、私がいた頃もこうだったっけ?!?!
なんで売り場がこんなに芸術的に綺麗なんだろう。。。
もう目が点で、夫に、
ヤバくない?綺麗過ぎない?私どうしたろう?
と聞いたら、夫が言った一言が
見事に私の言いたいことを上手く喩えていました。
「そうだよ。日本ってすべてが遊園地みたいだもの。」
そう、本当にそう!
初めて知ったし、初めてわかった!
日本にいた頃は、なんっとも思っていなかったのに
イタリアにいて別の暮らしがスタンダードになってしまうと
日本の凄さには脱帽でした。
駅も、街も、いろんなお店も・・・・
なんだか、ディズニーランドにいるみたいなんです。
かわいくて、きれいで、選り取りみどりで・・・・
何がイタリアと違うかと言われても、うーん・・・・
野菜すら、果物すら、個装してある!
一つ一つ並べてある!
案内が、すべて正確!
同じ種類のものを、ちゃんと同じところに並べて、無駄がなくて、きれい・かわいい!
どう言っても通じそうにないと思いながら書いていますが(笑)、めげずに伝えてみますと、見た瞬間、瞳がピンクのハートになりました!(笑)
自分はこれを当たり前だと思っていたんだ・・・
人というのは、本当に、知らぬ間に環境に染まっているものなんだ・・
自分は、100%、日本人の目を持っていたなあ・・・・・
ここが、この地球上でもかなり特殊なスポットが、私の生まれ育った故郷なのか・・・・・・・・・・・
そんな思いで、一人で何か壮大な思いでいっぱいになり、デパートの食品売り場で立ち尽くしました。
この、モノにあふれた美しき売場を作っている日本人。
みな、笑顔でてきぱきと動いて仕事をしています。
それを見ながら突然、日本の戦後の歴史をふと思い出して感無量になって、ポロポロ泣けてきました。
そうだったな、イタリアに渡ったばかりの頃、
野菜が売り場にばさっと直に置いてあることに驚いたものだった。。。
店員さんに何かを聞いても、
「さあー知らないわ♪チャオ!」で済まされることに
憤慨したものだった・・・・
置いてある商品と値段の書いてある札が一致していないことや
Sサイズの洋服にLサイズの札がついていることや
お仕事中の人に何かを聞いて、「今はもう少しでお仕事終わる時間だから、できない。」っていわれることや、
いろーーーんな不便に、知らぬ間にずいぶん慣れたものだなあ。
こんなことを思いながら店内を歩いて、
自分がこんなにも、
人間の適応能力というものを発揮して生きていたことに
思いを馳せて、
人間のすごさの一部を思い知ったような気がして、
言葉にならない思いでいっぱいでした。
地球が小さくなったような、大きくなったような。
人間は皆同じだというような、まったく違うというような。
どちらに寄っても、それがどんなにその時の自分に真実に思えることでも当然に思えることでも、
それは、その時の私たちの、単なる「思い込み」であると
つくづく感じました。
今の私には、故郷日本はとてもヘンテコな、夢のような場所です。
たくさんの、がんばり過ぎとたくさんの努力と・・・
勤勉さのもたらす美と、外側からは表面しか見られないようなさみしさ。
慮る、という美徳のなすありがたさや優しさと、それが行き過ぎた時の一定の距離感。
そして日本の持つ強大な力。
そんなものを改めて、そして新鮮な視点で感じました。
このあとに起きた、これでもかと私を驚かせた日本人にしかなしえない偉業、については
長くなってしまったので、次回にします!!!
※いつも読んでくださったり、コメントを下さる方、本当にどうもありがとうございます。毎回、感謝の念をたくさーーん送っています。愛をこめて。