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日本的インスタレーション☆茶室

Tea House

          リアルミユキ-tea house


以前ニューヨークに行った時つくった画像。

染織作品を写真に撮ってもらって加工しました。

仮想インスタレーション。


お茶室は、インスタレーション だと思う。


インスタレーションって何?って思った人はここへ↑


亭主が自分の精神世界をいろんなアイテムを駆使して、客を招き茶を振舞う。

戦国の時代なら客によってはものすごい緊張した空間になったかもしれない。

生きるか死ぬかみたいな。


一般に浸透しているお稽古事としての茶道に関してはよくわからないけれど。

それはそれとして、アートとして創ったらどうなるかな!?

なんて考えながら遊んでみた。

空間として説得力を持たせるためには作品数がまだまだ足りないのですが、そのうち形になると思います。


海外の人は、キモノにしても茶室にしても、日本の文化が好きですね。

侍だとか。


実際向こうの人のジャポニズムやそれを売り物にした日本人は胡散臭いところがありますが・・・。


わたしは日本的なものがもともと好きなので、そういう文化の中にどっぷりと浸りながら近未来におもいを馳せています。


できればキモノで生活したいんだけど

まだ準備ができていない。




大昔のアートは未来につながる

ランド・アート (land art)


岩、土、木、鉄などの「自然の素材」を用いて砂漠や平原などに作品を構築する美術のジャンル、またはその作品のこと。



ナスカの地上絵

ピラミッド

ストーン・サークル

古墳

日本庭園


などは過去になんらかの必要性があってつくられた造形。

規模がとても大きい


現代的な意味におけるランド・アートを構想した最初期の作家としては、イサム・ノグチの名が挙げられる。

彼はすでに1933年の段階で、古墳や古代遺跡、日本庭園などから着想を得て、「地球」を彫刻の素材とすることを提案していた。

彼の心の中に根源的なことへの衝動が芽生えたのだろうか。

ニューヨークのイサム・ノグチ美術館 (Noguchi Museum) には、「火星から見える彫刻」の模型(1947年)が残されている。

彼が1930年代から提案し続けた子供の遊び場となる人工の山、「プレイ・マウンテン」は彼の死後、札幌市のモエレ沼公園で実現している。



竜安寺 石庭


京都に住んでいるころ何度も遊びに行った。

そしていつも、なぜか物足りない感じがしていた。

行ってはいろんな角度から眺めるのだが、すごく不自然な気がしていた。

もしかしたら創られたときと景色がちがっているのではないかしらと思った。

だれかが動かしたとか・・・なんて思った。

お寺の人の説明と一致しないのだ。

最近になってあるマンガを読んでいてなるほどと思った。


この庭は、最初に創られたとき寺の周りには木も建物も何もなかったそうだ。

あの廊下に座ると広大な宇宙の広がりの中にいるような感じになったのではないかと想像する。


あれはまぎれもなく、インスタレーションだ!


日本の各地にある庭園はインスタレーションであったり、ランド・アートであったりする。


きっと何か意味のある造形なんですね。


アートはこれから新しさやインパクトを追求するものではないな。

根源的なものなんだな、とつくづく思う。


公園に砂場があるのも、だれかが根源的な衝動をわかっていたからなんじゃないだろうか。

最近、砂場が衛生上よろしくないということでなくなってきているらしいが・・・。

ネコのうんことかがしてあってキタナイんだって。

うんこがそんなにキタナイの!?


寺の門の周りに砂が敷き詰められ住職が一心に棒で模様を描いている。

それは意味のある行為なんだな。


このブログを書いていると、だんだんわかってくることがある。

こうして書くことが意味のあることに思えてくる。


アートっていうのは思索の結果で常識を超えていなくてはダメで、既存のものはもうやってはいけないんですよね。だからタブーはあってはならない。

だから時々嫌われているものを敢えて描いたりする。

昨日なんて【人間便器うんこ画像】っていうキーワードで「OLミユキさん」に来た人がいるけど、たしかにわたしはうんこ描きましたよ確かに携帯トイレを推奨しました!ただし人間が山に入るときはという前提があってのハナシでして。期待に副わなくてごめんなさいなのだ。




浮世絵といえば☆春画デショ!?

春画 (しゅんが)


現代においては、芸術作品(エロティカ)として社会的に高く評価されており、猥褻出版物としての扱いは受けていない。・・・そうだ。


線を引くのはむずかしそうだが。


絵ってエロくないとつまらないとは思う。

特に女を描く場合エロさがなければただの物体だから。


よくモデルさんを呼んでヌードデッサンをやりますが。
そういう時モデルはエロいとダメなのね。
今までエロい体の人に出会ったことないです。
キレイだけど味もそっけも無い体の人ばかり。(失礼)

ご本人もそーゆー体づくりに努力しているようだ。
描いてるうちに変な気分になっても困るもんね。


男と女がからんでるヤツは挑戦しないつもり。

別に理由はないけど。


女が半裸で動いてるのはよく描きますよ。

ふふん、エロいでしょって感じです。そういうの好きなんです。


今日こういうタイトルにしたのはアクセスがどうなるか見たかったため。

みんな好きじゃん。


「OLミユキさん」ていうブログには時々キワドイノを描いてるけど
まあ、かわいいものですよ。
毎日【乳首画像】っていうキーワードで来る人いるけどね。

浮世絵

歌舞伎と浮世絵は切っても切れないものですが


最近は写真の技術が発達していて、チラシも写真です。

ちょっと残念な気がしますね。


浮世絵 (うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを描いている。

浮世絵の「色」

浮世絵版画に用いられたのは比較的安価な植物性、鉱物性の染料・顔料だったようです。

黒は墨。初期の墨1色で摺ったものは「墨摺絵」と呼ばれる。

白(胡粉)は蛤の殻(炭酸カルシウム)を砕いて作る。




赤色系では

紅:紅花 - 紅絵
朱:水銀
紅殼(弁柄):酸化第二鉄
丹(鉛丹):酸化鉛

黄色系では

黄:ウコン、海棠の木、雌黄の木
石黄(雄黄、生黄):硫化黄(硫化砒素)

青色系では

藍:藍、露草
などがあり、紫などの中間色はこれらの掛け合わせで表現した。その他、豪華さを出すために金銀や雲母粉が用いられた。無地背景に雲母粉を用いたものは「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる。


幕末から明治にかけて、鮮やかな舶来顔料が使えるようになり、この時期の錦絵の特色ともなっている。


葛飾北斎は、かなり研究して使っていたようですね。

ヨーロッパでもフェルメールなんかは材料を工夫していたみたい。

絵描きさんはどこの国でも同じ。

いい絵を描く為ならなんでもやっちゃうところが。


藍:ベロリン藍(ベロ藍:プルシャンブルー) - 藍摺(あいずり)、冨嶽三十六景など
紫:ムラコ
桃色:ローダミン
赤:アニリン赤(洋紅) - 開化絵など




わたしは、浮世絵の色はあまり好きではありません。
なんというか、やぼったい気がします。

どうしてかな!?

自分が絵を描く時は主に植物や鉱物などの天然染料を使います。


浮世絵とはちがった染料です。


透明感があってぼかしがきれいにでるから。
絵の具は濁っていてきらいです。


和紙は内山紙を使っています。

この紙が一番使いやすいです。

安い紙ではないので描く時はすごく緊張しますが、

天然染料の場合あるていどやり直しがききますし、

失敗してもかえって味になったりして面白い。

とにかく、自由に筆を走らせることができるので気に入っています。


日本の文化を大事にしつつ、

あれこれ実験しながら描いていますが、失敗も多いですよ。

そういうのはとって置いてバックなどに貼り付けてつかったりします。


わたしはケチだしビンボウなので、


仕事でゴミはだしませんV(°∀°)b



最近PCのRBGカラーもWEB上でみるとキレイだなーと思います。
すごく可能性を感じています。

ゴミでないしね。(^-^)/

エコチックでしょ。





歌舞伎はアートだ!!!

昨日観た歌舞伎の演目


伽羅先代萩 (めいぼくせんだいはぎ)




題材となった伊達騒動は、万治・寛文年間、1660年から1671年にかけて仙台伊達家に起こった紛争をいう。


あらすじ

仙台伊達家の第三代当主・伊達綱宗は吉原の高尾太夫に魂を奪われ、廓での遊蕩にふけり、隠居させられる。これらはお家乗っ取りをたくらむ家老原田甲斐と黒幕である伊達兵部ら一味の仕掛けによるものだった。甲斐一味は綱宗の後を継いだ亀千代の毒殺を図るが、忠臣たちによって防がれる。忠臣の筆頭である伊達安芸は兵部・甲斐らの悪行を幕府に訴える。酒井雅楽頭邸での審理で、兵部と通じる雅楽頭は兵部・甲斐側に加担するが、清廉な板倉内膳正の裁断により安芸側が勝利。もはやこれまでと抜刀した甲斐は安芸を斬るが自らも討たれ、伊達家に平和が戻る。


歌舞伎の中では登場人物の名前は変えてあり、

「花水橋」「竹の間」「御殿」「床下」「対決」「刃傷」と六つの場面構成でできている。


花水橋では、大名が伽羅という高価な香木を下駄にして履いている。それほど風雅な生活をしているという暗喩ですね。命を狙われているんですがあまり意に介さない様子。そこへ染五郎さん扮する力士絹川谷蔵が表われ大名を助ける。


竹の間では、乳人正岡が我が子千松と共に若君亀千代を懸命に守っているが、悪者の手先が次々と現れ、女の戦いが繰り広げられる。


御殿では、正岡、千松、亀千代の三人の食事の場面。亀千代が命を狙われている為正岡は自ら飯を炊くのだが、その時茶道具を使うところがありえなくてシュール。三人のほほえましい場面のアト栄御前の来訪で一転して修羅場になる。栄御前は、毒入りの菓子を亀千代に勧めるのだ。主君の危機を救おうと幼い千松が飛び出して菓子を食べ事なきを得るが、同席していた悪者の弾正の妹八汐になぶり殺しにされる。


床下では、床下を守る荒獅子男之助がネズミを取り逃がしてしまう。そのネズミは弾正が姿を変えたものだった。お家のっとりを企む仁木弾正の妖術を使ったりする悪者の姿を現す。まるでダースベーダーみたいに恐ろしい。


対決では、お家騒動は幕府の評定所で裁かれることとなり関係者が集められ管領山名宗全の策略で悪者弾正のあわや勝利となるところへ、細川勝元が駆けつけ悪巧みを暴く。


刃傷では、悪の権化となった仁木弾正が忠臣渡辺外記左衛門を殺そうとする。大立ち回り&見得を切る場面が大迫力!





江戸の町民の大名の世界への興味に応えたお芝居なのだろう。
実際どうだったかわからないけど、こういう場面にすればお話としてそれらしくなるのではないか、という空想をお芝居にしたものなのだと思う。

お客様を泣かせて、笑わせて、怖がらせて、少し訳知りな気分にさせたり。
これはまさに、ファンタジーの世界ですよね。

お芝居、物語の世界を満喫させていただいた1日でした。


現在の歌舞伎座は2010年の4月で幕を閉じ、新しくなる。
今度はエレベーターをつけてほしいですね。
今87歳のチズコさんは大変苦労して階段を上っておられます。
1階の席のときはいいのですが、2階席は辛そうです。


今回わたしは解説のイアホンガイドを借りました。
保証金1000円で借り賃600円の計1600円でイアホンを借ります。
そして芝居がおわったらイヤホンを返して保証金1000円を返してもらいます。
今回はひとつの物語を通しでやったのでガイドはありがたかったです。


作り話なんだけどものすごくリアリティーがある。
シュルレアリスムな歌舞伎の世界でした。


歌舞伎役者を絵にした、東洲斎写楽の浮世絵もまたシュルレアシスムな世界だ。
この人もナゾの人なので、ますます興味深々。





ミユキ的アートの歴史

イタリア・ルネッサンス

レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci,本名Leonardo di ser Piero da Vinci 1452年4月15日 - 1519年5月2日) はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能の天才という異名で知られる。「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。

絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていた。wikipediaから

この頃日本ではどんなものを創っていたんだろう!?

仏像とかかな?

中国、韓国、インド、ロシアでは!?

今度調べてみることにする。

タイムマシンがあれば行ってこれるのになあ。

人間が電子のようになれば可能なんだって。

物体でいるかぎりムリですね。


日本の浮世絵
葛飾 北斎(葛飾 北齋 [1]、かつしか ほくさい。宝暦10年9月23日?〈1760年10月31日?〉 - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉は、日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。

代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。wikipediaから

浮世絵の場合は現代のイラストレーターとかデザイナーの感じですよね。

漫画はわたしも好きで描いています。

アイデア考えるのってメチャクチャ楽しい。

仕事になると苦しいね、きっと。


現代アート

ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian、本名ピーテル・コルネリス・モンドリアーン Pieter Cornelis Mondriaan 1872年3月7日 - 1944年2月1日

モンドリアンさん以前のピカソとかブラックとかの現代アーティストはとばします。

個人的に好きじゃないんですよね、中途半端な感じがして。

ジョージア・オキーフ(Georgia O'Keeffe, 1887年11月15日 - 1986年3月6日)は、20世紀のアメリカの画家。夫は写真家のアルフレッド・スティーグリッツ。


河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年)11月18日は、日本の陶芸家。

陶芸のほか、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも優れた作品を残している。

やっぱりこの時代の人だったんですね寛次郎さん。

アレクサンダー・カルダー(Alexander Calder、1898年7月22日 - 1976年11月11日)
モビールの発明により彫刻作品に実際の「動き」を取り入れたことである。

イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)

フリーダ・カーロ(Frida Kahlo、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家


サイ・トゥオンブリーまたはサイ・トゥオンブリ(Cy Twombly、1928年4月25日 -)、アメリカ合衆国バージニア州出身の抽象表現主義の画家、彫刻家である。
抽象表現主義(ちゅうしょうひょうげんしゅぎ、Abstract expressionism)

↑ここにもなにやらむずかしそうなismがありますね~。


マグダレーナ・アバカノビッチ [Magdalena Abakanowicz] (1930- ) ポーランドの芸術家.


まだご存命の方が2名いらっしゃいます。

今も現代アートの時代なんですね。

イタリアからフランス、そのあとアメリカに・・・アートの流れは今度はどこに!!!



わたしの心をつかんだアーティスト全員に登場していただきました。

こんな風に年代別に並べたことがなかったので、すご~く勉強になりました。

みなさんはこの中で興味がある人がいましたか?

なんだか大雑把で申し訳ないです。



明日はこの忙しい時に歌舞伎に行きます。

これだけは、ぜったい行かないと後悔します。

江戸の物語のシュルレアリスムな世界にどっぷりと浸かってきますね。


帰ってきたら、浮世絵と役者のお話でもしましょうか。


インスタレーションって何?!

インスタレーション

展示方法によって空間自体を作品化することが美術の一手法として認識されはじめ、彫刻や絵画などから独立した・・・というものらしい。


中国や韓国では「装置芸術」「設置芸術」などと呼ばれることもあるが、日本では一般に「インスタレーション」の名称が用いられる。


かなり前からこういうことははじまっていて現在すごく盛んになっている。


現代アートっていうとまずインスタレーションを思い浮かべます。


「一時的でしかも場所固有なので、そこに恒久設置された作品ではない限り会期後は消えうせることになる。また、売買は基本的に困難である。売買にあたっては、美術館などが作家に制作を依頼して制作費を払い恒久設置あるいは一時設置の方法をとるか、またはコレクターや美術館が詳細な設計図とともにパーツすべてを買い取り、再設置に当たっては作家が監修してその場所に合わせて展示方法を変えることなどの方法がとられる。作家や美術商がインスタレーション制作前に習作として描いたドローイングや試作模型、インスタレーション制作後の記録写真などを販売することもある。」
ここはWikipediaからの引用です。


価値があると判断されれば金銭が発生しますよね。さいしょからそれをあてにして作るわけではないのですが、作家にそれだけの力量があることが前提なのでしょう。


芸術作品っていうのは、思想哲学があったり、技術があったりということは大切ですし当たり前です。実際できあがりませんからね、そういうものが無かったら。

でもでも、それよりもっと大切なことは根源的なところにあると思うんです。


人を敬う気持ち。


自分が大切なのはそうなんですが、自分だけよければいいというものでは説得力がないんです。


何か行動を起こすとき自分の心に聴くことってないですか?

欲望だけの行動には何も宿ってくれない。
その場が汚れるんです。

作為的な造形物は美しくないと思うんです。
やはり美しいほうが気持ちがいいですよね。
それで一生懸命お掃除するんです。心の中を。
邪心を払って。まるで宗教みたいですね。
宗教ってそういうものかもしれないですよね。



訳わからないものにすがって拝んで頼むものではないです。



作品は意外と正直に心の中のものを表に出しますから。


わたしはインスタレーションというのは宗教的儀式をするための空間作りだと思っています。
新しい概念ではないですね。

人間の根源的な行動だと思います。
だから自分だけ作って喜ぶのではなく、その場を共有することが前提な作業じゃないかと思います。

様々な個性の人たちが集い場を共有しているうちに何かが生まれたりする

なんだかWEBの概念と似ていませんか!?


前向きな素直な気持ちを引き出させるような装置をつくりたいです。

今わたしが取り組んでいることです。
今度の個展ではそれをやります。
装置をつくるための材料を今つくっている最中。

尊敬する人

河井 寛次郎(かわい かんじろう、1890年(明治23年)8月24日 - 1966年(昭和41年


京都にいるころ五条坂の寛次郎記念館によく遊びにいった。

ただ行って記念館の中で、寛次郎さんを想う。

想うだけで胸が熱くなってしまう。

まるで恋人に会いにきたみたいな気分になった。


わたしはこの人が好きで好きでたまらない。

今もまったく変わらず、自分でもおかしいのではないかと思うくらいだ。


京都に行ったら必ず立ち寄る。


この記念館はもともと寛次郎さんが住んでいた家でウラには登り窯があり、仕事場も兼ねていた。

ここに行って生前この椅子にすわって物思いに耽っていらしたであろう椅子にすわり、眺めたであろう庭を眺める。


陶工河井寛次郎はアレクサンダー・カルダーとは同世代ではないかと想う。


わたしはそのころのアーティストが好きみたい。


理屈ではないんですよね。


『私は木の中にいる、鉄や真鍮の中にもいる、

人の中にもいる。

一度も見た事のない私が沢山いる。

始終こんな私は出してくれとせがむ。

私はそれを掘り出し度い。出してやり度い。』 ~河井寛次郎~


詩を書き絵を描き、読み、書き、思う人。


日本にもismがあった

民芸運動というものだ。

そういう活動もした人

棟方志功」を見出したひと。

数えあげたらきりがないほど仕事をした人です。

現代アート進化論

おさらい。
まずキュビスム(英:Cubism)。いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。そしていろんなismが出てきた。

でもピカソもブラックも、キュビスムから抽象に向かうことはなく、具象にとどまったんだって。(というか後戻りしたように思うんだけど。まあ、アーティストってヘタレが多いからな。)←独り言です気にしないで。


ヨーロッパ、アメリカの人は主義主張が好きだ。

日本人は派閥が好き。

わたしは両方とも好まないな。


そのアトの人たちは徐々に抽象へ向かっていく。

これはかなり勇気のいることだ。

なぜなら、一目見て何を描いているのかさっぱりわからないから。

これが、今の現代アートへの流れなのだろう。


モンドリアンの直線と面だけの絵はそこから一歩踏み出した感じがする。
自分の主義主張を表しているんだよわかんない!?って言ってるような絵だ。


Abstract Art(抽象絵画)
Abstoractって数学の言葉なんじゃないのかな。

ニューヨークではみんなバカの一つ覚えみたいにアブストラクト、アブストラクトつってマジな顔でひとくさりブッていたよ。


「ぐちゃぐちゃ描けばアブストラクトかよっていいたくなるような汚くて変なのが氾濫していましたよ。反吐がでそうになった。」←ここカット!ひとりごとだから気にしないで。



そのあとは画面だけじゃなくてそこからもはみだして物理学的概念みたいなのが出てきてもう何がなんだかわけがわからなくなってきている。個人的な心の中をいろんな形で表現している。


「こういう気持ちでこういうことをやっているんです。」っていう自分の考えを添えないとだれにも納得してもらえないようになっている。その人となりと作品とが一体になってきた。

もっと新しくなると
「こういうアート活動をしています。」という物体よりも精神性を追求しはじめている。

「世の中みんな波だらけ」なんつって波動方程式とかなんとかをいいはじめるのかなあ。


これは、先に進んでるってことですよね~。みんなの意識も変わってきているし。地球も宇宙のひとつだしな。

ってなわけで、アートは職業じゃなくて生き方とか死に方って言っていいんじゃないかとわたしは考えています。(まとめちゃダメかな。)


アートは職業ではない

大好きなアーティストのアレクサンダー・カルダーは最初エンジニアになろうとしていたらしい。


自伝を読んだわけではないんだけど、わたしが学生の頃古本屋でみつけた美術手帳っていう雑誌に書いてあった。

エンジニアの学校は出たけれど、どこも務まらずけっきょくフリーターになって船乗りになったりしたらしい。




わたしが高校から大学へ行こうとしたのはなぜかというと、両親がわたしの道を勝手に決めようとしたからだった。

それでここにいたらヤバイと思って、とっとと受験して京都の美術系短大に行った。

4年制の大学へは行かせてもらえなかった。(お金が無いからという理由)



とにかく家を出たかったのでどんな学校でもよかったんだけど、高校の担任が生活デザインというのがあるって教えてくれて、


「よしそれにしよう!」なんてかなり適当に決めた。



京都時代はほとんど遊びとバイトの日々だったので何もやっていないのといっしょ。味をしめてもっと勉強したいとかなんとか親をだまして東京の専門学校にも行った。その時はインテリアテキスタイルというものだった。それでも職業意識がまったくなく家につれもどされた。


家業(電気の配電盤を作る工場)を手伝っているうちに社長もいいなあなんて甘いことを考えている矢先に工場での作業中に鉄骨が倒れて下敷きになり気を失うという事故に遭った。ケガは無かったがその後父からお出入り禁止にされ、社長の夢は無くなった。



何か職に就かなくてはならなくなって、短大で機織がおもしろかったから織り子になろうとして六日町に行ったがずっとそれをやっているのもつまらんと思いやめた。



あとはできることといえばデザイン科を出ているからデザイナーかなということで今度は東京で働くことになった。


デザイン科を出たからデザイナーなんてホント甘かった。超過酷な仕事。朝から夜中まで働かされた。すぐ辞めたいと思ったが他にいくあてもなく、そのままずっと10年ほどやった。




思い出してみたんだけどやっぱりヘタレな女やなあ。



なんてアホなヤツ!やばい!落ち込みそう!!!


というわけで、今やっていることはなんとなくやってきたことの延長線上でやりたくてやっていることではない。


ただアートすることに関しては、




もーれつに意欲がでてきた




職業は?って聴かれたら、フリーターかな!?


アートは生きることだから、それでは食べられないからね。   つづく