“3.11”より2年半経ちました。
なのに、いまだ避難生活をされている方が
29万人・・・とのことです。

ピンと来ない数字だな・・・と思い調べてみました。
すごいことに
兵庫県明石市の人口とほぼ同じ、
東京都豊島区の人口とほぼ同じです。

その人数の人々にとって帰る場所がまだないと考えると
2年半とは人の生活を元に戻すには短いのだと思い知らされます。




わたしは福島いわきが故郷なので、そこのことを綴りますね。
日が経つにつれて福島は他の被災県とはますます様相が変わってきていると思います。

中でもいわき市はおそらく避難者を一番抱えている自治体です。
住めなくなったいくつかの町の役場も存在しています。
そして原発の作業員の方もたくさん来られています。
必然的に一気に人が増え、不思議な賑わいとなっています。

そんな中、小さい子供がいる家庭の転出は相次いでいます。
つまり、見た目の人口は増えていても、
ものすごい速さで限界集落に近づいているのです。
東北2番目に大きい市だというのに。




借り上げ住宅に避難している方やプレハブの仮設住宅に住まわれている方、
それぞれ住み方は違いますが、生き方は同じように見えます。
生活の保障金で生きてはいけても何もすることがなく
目標もなく暮らしているような。
それを目の当たりにしている元からの住民との軋轢。

元からの住民は半壊認定もされなかったり避難指定地域にもならなかったため
風評被害を受けても もちろん保障はほぼありません。
それで 仕事もせず羽振のいい避難者にやっかみが出てきます。
それは当然です。
でも、避難させられた側に立てば イヤイヤながら
家を奪われ、仕事を奪われ、今までの生活全てを捨てなくてはならなかった。
それは人生においてとても残酷なことです。
命があったとしても目標を失い、人格が変わるかもしれないほどの衝撃があったと思います。
突然気持ちを入れ替えて、しっかり再就職しろといっても無理な話です。




この状況を聞いていて胸がもやもやするのは
戻れるのか戻れないのか判らないから・・・という話。
そうなんです!
これが戻れるとはっきりしていたら、戻ったときの再建を考えて、
もっと建設的な生活をしようと考えられる。
また、戻れないとはっきり言ってくれたら別の地で生きていかなければならないと
再出発の覚悟ができるんです。
そして元からの住民もそんな姿なら 応援できるのです。

山や川まで除染できないことを知っている住民はシビアで
本当の除染なんてできるはずがないと言います。
そんなお金があるなら これからずっと生活していける街を、住宅を造成してくれないかな…
とつぶやいているのが本音だろうな、と思います。
でも、除染してくれている作業員の方たちや
いろんなリスクを背負って来てくれている原発の作業員の方たちに悪くて
黙って今の状況を受け入れているように見えます。




こんなときはリーダー力のある長が必要なんでしょうね。
他県のことながら こんな方は辞めないで欲しかったなぁと思いました。
東海村村長 村上氏

市長、県知事とも将来を読み、県民向けの真心があって欲しいと願います。



◇◇◇ 震災直後の小名浜港 ◇◇◇
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( 今でも 岸壁のヒビや崩れたコンクリートは そのままです )