Day5
ステイ先の最寄の駅まで歩いて、電車に乗る。大分地下鉄にも慣れ、本を広げたりできるようになった。最初はラインによっては車内がほぼ黒人だったりして、全員日本人の乗った電車しか知らない私にとって、しばらく違いに驚いてばかりだった。夜に何匹かのネズミと、同時に目があったときは笑った。
とある地下鉄の駅にて。時刻表はない。
今日はチェルシーマーケットへ。観光客で賑わっていた。お土産ものやさん、キッチン用品を売っているお店があったり、あとはこじんまりとしたレストランが所狭しと並んでいた。
その中の本屋さんで、私をニューヨークに連れてきてくれたパティ・スミスの本をすぐに見つけられて、テンションが上がる。今年の6月に東京でポエトリー・リーディングと演奏をしていたパティをみて、詩でも歌でも彼女の発する言葉の力に、そして中性的で清らかな佇まいに惹きつけられた。そのあとパティのことが知りたくて、出逢ったのがこの本だったのだ。ニューヨークで、大変身を遂げる物語。
観光客向けのお店がほとんどだったけれど、個人的にはものづくりをしている人が作品を直接売っているところがあって、フリーマーケットみたいで楽しかった。大量生産されたものより、手づくりの温かみがあるものが好きだ。可愛いポストカードを何枚か確保。
美味しそうなピザ屋さんがあったけれど、今日はパス(笑)してアメリカンな食事。ケーキは本当、どこへ行っても甘い。あと、こちらは日中暑くて、ほぼ毎日飲んでます、アイスコーヒー。
そしてホテルチェルシーへ巡礼。修繕工事中だったけれど、かつてここに暮らしたアーティスト間の交流が、世の中を歓喜させたり驚かせた作品を生み出してきたんだと思うと、心が震えた。パティ・スミス、それからボブ・ディランは勿論、ここから巣立ったアーティストは数知れず。ロビーは関係者ばかりと思って立ち入るのを遠慮したけれど、歴史の重みを感じました。また来たい。
歴史の重みといえば、こちらニューヨークでは建物が古い。日本みたいに地震がないから、普通に住居の建物でも1800年代に建てられたものとか、ザラにあります。リノベーションをしているというのもあるけれど、建物を大事にしている感じがいいなぁと思うんです。
それから、こちらに住んでいる友人(初日に出逢ったばかり!)、あいちゃんと合流する。
洋服屋さんへ。あまり買う気はなかったのだけれど、めっちゃあったかそうな真っ白のブルゾンを見つけてしまい、久しぶりの即買いをする。ものすごく暑い日だったのでこっちで着ることはないと思っていたのだけれど、まさか必要になる日がすぐに来ようとは。
会話の中で、離れてみて日本の良さも悪さも見えてくるって、彼女はそう言ってた。たとえば、働く環境。〝日本人は働くために生きている。アメリカ人は生きるために働く〟少し前に聞いたこの言葉を思い出した。過労で死んでしまったり、ストレスで自ら命を絶ってしまうような事件も最近あったりするから、心配になる。それは他国からみれば異常なことなのだと認識した。単純に、世界から各国のシステムの良いところ取りをすれば良いのに、と思うのだけれど。色んなしがらみが、日本を簡単にはそうさせてくれないのだろう。
公園で、所謂1$ピザを食べながら。
そしてイーストビレッジと呼ばれるエリアをひとりで徘徊する。リトルジャパンと呼ばれるこの場所で、私にとって興奮する最高のアトラクションは、何といってもスーパーマーケット!そこの人たちの生活が1番見えてきて、好きなんです。日本食もかなりあって楽しかった。(でも普通のスーパーでも豆腐とか、割と見つけられるのよ。)圧倒的な量のキャンベル缶がスーパーで並んでいるのをみたときは、ウォーホルを思い出してちょっと感慨深かった。
そして今日の締めは、トンプキンズ・スクエア・パーク。
かつて市警とホームレスが大暴動を起こしたり、ドラッグにまつわる運動が盛んに行われていた場所。今は、静かな公園。NYがここまで安全になった過程で、語るべき歴史がここにはたくさんある。ちなみにパティの本にも何度か登場する。つわものどもが夢のあと、かな。
Day6
昨日手に入れた日本食を早速試してみたくて、朝ごはんの支度。
マルコメ!
じゃーん。ミソスープ、うん。たしかに海藻入り、美味しい。よし、次は米だ……ん、米?
なかなかのパサパサ具合だったけれど、うん、これは私の調理法に問題があったんだと思うことにする。
気を取り直して、今日はコニーアイランドへ!
この名前が可愛らしくて好き。歌でもあるよね、大瀧詠一さんとか山口百恵さんとか。レトロな街と聞いていたけれど、日本でいう昭和感?良いところだ。
遊園地は閉まっていて残念だったけれど、名物のホットドッグは食べましたよ。あとは、アメリカンサイズのアイスクリーム、あまりの量にこれだけでおなかいっぱいに。
それにしても夏だな。多くの人が日光浴をしている。日焼けをあまり好まないアジア人に対して、欧米の人たちはどうしてあんなに日に焼けたがるのかしら。と、韓国人のAnnaと話す。
その後は電車に乗ってブルックリンの端から端まで移動、ダンボ地区へ。道行く人が、みんなお洒落。
この前知り合った先輩のシンガーソングライターの方から演奏しに行ったよ、と教わったこの場所。まぁ〜、お洒落な!もしかしたら今回、一番お洒落な場所だったかもしれない。近所の人たちがフラッと訪れるカフェで、Annaと1時間ほどお喋りを楽しむ。
その後は、そのまま歩いて、マンハッタンブリッジやブルックリンブリッジを見渡せる公園に辿り着く。
夕景からの夜景。移ろいが見事だった。水面が灯りでキラキラしているのを見て、なぜか瀬戸内海への家族で行った旅行とか、砂の入ったキーホルダーのおみやげとか、幼いころワクワクしたことを思い出した。もう帰ってこないことは、追いかけなくても、記憶にさえ残っていれば充分だ。突然、必要なものは人生の中に全て用意してもらっているんだ。ありがとう、という感謝ばかりが胸に溢れた。しっかりそれを、感じて歩んでいける自分であり続けよう。どれだけ仄暗くても、消えることのない灯火で導かれている道があって、それを感覚で感じながら歩く。これは、全てが開いていないと気づけないもの。今にいないと気づけないこと。
〝カフェ ホワッ?〟かつてボブ・ディランがニューヨークにやって来たとき、よく演奏していたというライヴ・バー
それから高校のときの友人、まやのちゃんに久しぶりに逢って、旦那さんも一緒にずっと行きたかった〝カフェ ホワッ?〟に行く。その日はファンクナイトで、8人くらいがステージに上がって、パフォーマンス(4リズムにコーラス3人、リードヴォーカル)。世界中からお客さんが来るそのお店で、MCとリードヴォーカルの彼はどうやってお客さんを引きつけ、音楽を楽しめば良いかを熟知していた。音楽はみんなのもの、ということをここでもはっきりと思い知らされる。そして心地良い会場全体のグルーヴ感に、気づけば踊っていた。その後オープンマイクがあったのだけれど、私の直前で締め切られてしまった。めちゃくちゃカッコ良いバンドだったので、一緒にやりたかったな。そのオープンマイクでたまたま日本人のパフォーマンスを見た。客観的に日本人を観られるいい機会になった。
偉大な先輩たちが連れてきてくれた場所に、心から感謝した夜だった。まやのちゃん、旦那さん、ありがとう!
次回へつづく。
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えーと、旅行記はまだここまでしか完成していませんが、2週間の旅を終え、私、帰国しました。
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つづきもある程度は形になっているので、どうぞ気長に待っていてください。
今日は神保町昭和歌謡倶楽部の撮影@浅草。
はりきるぞーーー
<近々の予定>
◆11/3 浜祭り
◆11/5 Itoy Party! イベント
↑ここでたくさんおみやげ話する!
11月はこれ以外も何本かライヴやります。