あなたのお話を聴かせてください。
人にはなかなか話せない「いのちのこと」「死ぬこと」「生きること」など、胸の内をお聞かせください。
必要であれば、私の経験や想い、死生観も尋ねてください。
私にできることは、「いのち」を感じ、あなたの大切な方のいのちへ愛の光を当ててもらうこと。
自分や大切な方の「死」を乗り越えるのではなく、安らぎの源を見つけましょう。
【3月セッション募集は終了しました】
【4月セッション空き状況】
4日(木)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
7日(木)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
22日(月)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
28日(土)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
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渓太郎と私が腫瘍科病棟の住民になった時、わりと早い段階で声をかけてくれたのが、まーちゃんママだった。
「こんなに小さいのに、なんで病気になんてなっちゃうんだろうね・・・」
彼女が言った「こんなに小さいのに」という言葉が、渓太郎のことだけを指しているのではなく、当時6歳だったまーちゃんのことも含まれているのだと察したのは、私の腕の中にいる渓太郎をただぼんやりと眺めていたからだった。
そして、病名を聞かなくても、まーちゃんの状態が良くないのだろうということは、彼女のようすからなんとなく感じ取ることができた。
それから2か月くらいが過ぎた時、別の付き添いママが私に「まーちゃん、個室に移動したね」と、廊下で話しかけてきた。
「・・・そっか・・・」と私が答えた後は、お互いに言葉を交わすことなく静かにその場を去った。
「個室に移動したね」という言葉は、付き添いママの間だけで通用する「隠語」みたいなもので、「間もなく旅立つ」を意味した。
長い付き添い看護生活の中でママたちは、状態が悪化すると個室に移動し、それから間もなくして旅立ちを迎えることを学び取っていたのだ。
まーちゃんが個室に移動して数日が過ぎ、渓太郎をベビーカーに乗せて廊下をお散歩していると、まーちゃんの部屋の中にぴかぴかの「ランドセル」が置かれているのを見つけた。
(そうか。4月になったら、まーちゃんは一年生だ・・・)
その時は確か、3月中旬で今くらいの時期だったと思う。
(4月まであともう少し。まーちゃん、ランドセル背負えるといいな・・・)と思ったのをよく覚えている。
ランドセルを準備しているのが健康な子どもなら瞬時に「小学校、楽しみだね!!」と声をかけるはずなのに、「ランドセル、背負えるといいな」と祈ってしまうことにやりきれない切なさが込み上げたから・・・。
それからさらに数日後、廊下でバッタリとまーちゃんママに会った。
「あ、渓ちゃんママ」。
少し微笑みながら声をかけてもらえたことにホッとした私が、「まーちゃん、ランドセル買ってもらったんですね」と言うと、彼女は「そう。おじいちゃんが買ってくれたの。ランドセルを背負って学校に行けたらいいんだけどね・・・」と切なそうにつぶやいたあと、今度はニコッと笑ってこうつけ加えた。
「でも、まーちゃんは嬉しそうだよ。昨日はランドセル背負って、病室の中を歩いていたよ」。
まーちゃんが嬉しそうにランドセルを背負っている姿が目の前に浮かびあがると、心の中にかかっていたやり切れないモヤが晴れた気がした。
「そうか。まーちゃん、ランドセル嬉しいんですね」。
悲しい未来を先読みばかりしていた私は、いま目の前にある確かな喜びをどれほど見逃がしてきただろう。
まーちゃんはランドセルを背負って学校へ行くことは叶わなかったけれど、まーちゃんにとっては、ランドセルを買ってもらえたことや「もうすぐ一年生!」と思えること自体が幸せだったのだ。
今を生きていた子どもたちの姿に、なんだか涙がこぼれてくる・・・
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