あなたのお話を聴かせてください。
人にはなかなか話せない「いのちのこと」「死ぬこと」「生きること」など、胸の内をお聞かせください。
必要であれば、私の経験や想い、死生観も尋ねてください。
私にできることは、「いのち」を感じ、あなたの大切な方のいのちへ愛の光を当ててもらうこと。
自分や大切な方の「死」を乗り越えるのではなく、安らぎの源を見つけましょう。
【3月セッション募集は終了しました】
【4月セッション空き状況】
4日(木)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
7日(木)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
22日(月)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
28日(土)10時~ 13時~ 15時~ 20時~
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渓ちゃん、健康な体に生んであげられなくて、本当にごめんね・・・。
代わってあげたいのに、代ってあげられなくて、ごめんね・・・
渓ちゃん、苦しいことばかりで本当にごめん・・・
それは私が決して口に出すことができない「ごめんね達」だった。
―――私が決して渓太郎に謝らないと決めたのは、渓太郎の身体にがんが見つかった瞬間からだった。
なぜなら、母親である私が涙ながらに「ごめんね」などと言ってしまったら、渓太郎は間違いなく「ボクのせいで、お母さんに「ごめんね」を言わせてしまった」と思ってしまうだろう。
誰だって大切な人には幸せでいてほしいのだから、私は謝るわけにはいかなかった。
そんな私は、「ごめんね達」で胸の中いっぱいに膨れ上がり窒息してしまいそうになると、「ごめんね」を「大好きよ」に代えて、自作の子守唄を唄い続けた。
「♪渓ちゃん、渓ちゃん、大好きよ。渓ちゃん、渓ちゃんかわいいねい♪」
この言葉を単調なリズムに乗せて、何百回も唄い続けた。
繰り返し、繰り返し唄い続けていても罪悪感から解放されることはないのだけれど、苦しみ一色だった胸の中に、ふんわりとした温もりが加わることでなんとか浅い呼吸を続けることができた。
―――私は「悪いことをしたと思ったら、ちゃんと謝りなさい」と言われて育ってきた世代なのだけれど、渓太郎との闘病以来、「『ごめんね』は言う側、言われる側、どちらのための言葉なのだろう」と、わからなくなるときがある。
少なくとも、「大好きよ」「可愛いね」と語りかけられている時の渓太郎の顏は安らかで、単調な歌にも飽きることなく微笑み続けてくれたことを思えば、「ごめんね」よりも大切なのは、愛する気持ちを伝えることなのかもしれない・・・と。
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