あなたのお話を聴かせてください。
人にはなかなか話せない「いのちのこと」「死ぬこと」「生きること」など、胸の内をお聞かせください。
必要であれば、私の経験や想い、死生観も尋ねてください。
私にできることは、「いのち」を感じ、あなたの大切な方のいのちへ愛の光を当ててもらうこと。
自分や大切な方の「死」を乗り越えるのではなく、安らぎの源を見つけましょう。
【2月の個別セッションの募集は終了しました】
【3月セッション可能日時】
18日(月) ・10時~ ・13時~ ・15時~ ・20時~
26日(火) ・10時~ ・13時~ ・15時~ ・20時~
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「こども病院には、いま頑張っている子どもたちだけじゃなくて、亡くなった子どもたちもそこにいたのだということを忘れてほしくなくて・・・」
そう話してくれたのは、今から3年半前に他界したたいちゃんのパパ。
昨年30周年を迎えた長野県立こども病院が取り上げた地元新聞を目にしたたいちゃんパパは、そこに掲載されているのが現在闘病中の子どものことばかりだったことに心を痛めた。
そこで、胸の内を書いたメールを新聞社に送ると、たいちゃんパパの想いを受けた新聞社が当時のたいちゃんご家族の様子や写真、現在のご家族の様子を掲載してくれた。
(たいちゃん、ブログに登場してくれてありがとうね♡)
こども病院は私にとって「渓太郎の生きた証」でもあり、渓太郎の第二の故郷だとも感じている。
たいちゃんパパがこの世を卒業していった子どもたちに当ててくれた光が、「存在」の意味を教えてくれる。
―――目に見えて在るのが「実体」。見えても見えなくてもあるのが「存在」。
見える「存在」と見えない「存在」。
それは単純に視覚に映り込むか映り込まないかの違いで、どちらも「在る」。
だって・・・
私はいま「実体」として存在しているけれど、地球の裏側に住む人が私の「存在」を知らなければ、ないのと同じ。
―――「実体」≠「存在」。
「実体」は視覚でキャッチするもの。
「存在」は心でキャッチするもので、いつでもここに在る。
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