【イノチのあり方 オンライン講座 木曜2期】開催のお知らせ
・「個の命」と「いのちの流れ」について
・本来の「いのち」のあり方とは・・・
・私たちが日常的に考えている「命」と「本来のいのち」の違いは・・・
②「いのちから生まれる『本当の存在価値』」(3月21日・木)
・「個の命」が生み出す自己肯定感と「いのちの流れ」が生み出す存在価値
・本来の「いのち」のあり方を知ることで、「生きるうえでの苦しみ」は作られたものであることを知る
・「いのち」より先に「生」があることで起きること
③「すべては流れ続けるために・・・」(4月18日・木)
・「生」と「死」の意味を考える
☆すべて20時から21時半までとなります。
詳細・お申込みはこちら
今回の講座は、受講料の3割を能登半島地震で被害に遭われた方へ寄付させていただき、寄付後はみなさんへご報告もさせていただきます。
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「渓ちゃん、もういいよ」
「逝きなさい」
ようやく降りた母親の許可に従って、渓太郎はほっとした表情を見せて呼吸を止めた。
(やっと、解放させてあげられた・・・)
それは渓太郎にとっての痛みからの解放だけでなく、私自身、渓太郎の命への執着からの解放でもあった。
それから数日後、渓太郎が荼毘に付されると、炉の中から戻ってきたのは私の片手に収まってしまいそうなほどのわずかなお骨。
親戚一同が悲しみの静寂に包まれる中、呆然とする私に火葬場の男性職員が尋ねてきた。
「ガンでしたか?」
あまりにも淡々としたひと言に一瞬目が覚め、私は下を向いたまま「はい」とだけ答えた。
神聖な空気の中に放たれた現実的なひと言に、(もう、これ以上何も聞かないで)という防御を込めての返事だった。
するとそんな私に男性は、「抗がん剤が骨まで浸透していますね」と言いながらひとつの骨の欠片を指さした。
指の先にあったのは、ところどころが赤く染まった小さな骨だった。
それを目にした瞬間、一瞬にしてずっと抱えてきた「延命治療を強いた罪」に襲われた。
(渓ちゃん、ごめんね・・・。 こんなになるまで頑張らせてしまったんだね・・・。 本当にごめんね・・・)
するとまた、横から男性が赤く染まったお骨についての説明をはじめた。
「抗がん剤をしている人はよく骨に染みがあるんですよ。赤いことが多いですね。時々、青色とかもありますけど・・・」
そう言われたときの私はなぜかとても冷静で、「そうなんですね」と返しながら、(遺族でもない人が、私と同じ悲しみを味わっているわけがない。悲しいふりをされるよりはマシ・・・)と受け入れた。
―――以前、「死」の人称という言葉を聞いたことがある。
一人称は「私の死」
二人称は「あなたの死」(身近な人の死)
三人称は「その他大勢の人の死」
「自分の死」は、誰も自覚することができないことを考えれば、ある意味存在しないともいえる。
「その他大勢の死」は、自分とは無関係な他者の死で、ほとんど感情が動くことがない。例えば、事故のニュースなどで見る「死」がこれに当たる。
私たちが本当の意味で「死」を味わうのは、「二人称の死」なのだ。
(1,2,3の中のに流れがあり、例えば命に関わる仕事に就いている方は「2.5人称」の立ち位置でいることが望まれるらしい)
「二人称の死」に直面している私に放たれた、「三人称の死」の対応をしている男性からの言葉。
私はその言葉に傷ついたわけでもないのに、なぜか今でも深く心に刻まれている。
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