【イノチのあり方 オンライン講座 木曜2期】開催のお知らせ
・「個の命」と「いのちの流れ」について
・本来の「いのち」のあり方とは・・・
・私たちが日常的に考えている「命」と「本来のいのち」の違いは・・・
②「いのちから生まれる『本当の存在価値』」(3月21日・木)
・「個の命」が生み出す自己肯定感と「いのちの流れ」が生み出す存在価値
・本来の「いのち」のあり方を知ることで、「生きるうえでの苦しみ」は作られたものであることを知る
・「いのち」より先に「生」があることで起きること
③「すべては流れ続けるために・・・」(4月18日・木)
・「生」と「死」の意味を考える
☆すべて20時から21時半までとなります。
詳細・お申込みはこちら
今回の講座は、受講料の3割を能登半島地震で被害に遭われた方へ寄付させていただき、寄付後はみなさんへご報告もさせていただきます。
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「ほら!!あそこにいるじゃない!!見えないの?」
「どこ?どこ?」と顔を寄せて聴く私にその女性は、目の前を指さしながら丁寧に説明してくれた。
「すぐそこにアヒルもいるし、その奥にキレイなお花もたくさん咲いているじゃない」
「えー、わかんないわ・・・」と言うと彼女は、そのきれいな景色が見えない私を憐れむようにこう言った。
「あんなにきれいなのに、見えないなんて残念ね・・・」
その日は精神科病院の中にある「ヘアサロンCle」の営業日だった。
私はその店の運営と受付を任されていて、月に何度かお客さんである患者さんと接する。
先ほどの会話も、お客さんである患者さんと交わされたもの。
入院患者さんである彼女には見えていて、私には見えていない状況を考えれば、一般的には見えないのが「正常」なのだろうけれど、果たして本当にそうなのだろうか。
患者さんと交流させていただいていると私は時々、「正常」とか「平均」とか「標準」の意味がよくわからなくなる。
多数決で言えば、きっと私と同じ意見の方が多いだろうから、見えない方が「正常」と呼ばれるだろうけれど、「心の目の性能が、私より彼女の方が精密である」とか「彼女の心の目が驚くほどに高性能」とも考えられるような気がしてならないのだ。
そうだとしたら、彼女がもし「正常」(と呼ばれる状態)になってしまったら、それと引き換えに、あんなに幸せそうな表情をして眺めていたアヒルも花も見えなくなってしまうのだろうか・・・。
幸せを手放してまで、「平均」とか「正常」を重要視する必要があるのか・・・。ないのか・・・。
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