【イノチのあり方 オンライン講座 木曜2期】開催のお知らせ

◆ 「イノチのあり方オンライン講座」全3回 ◆ (6名) 4名
①「いのちと命」(2月29日・木)
 ・「個の命」と「いのちの流れ」について
 ・本来の「いのち」のあり方とは・・・
 ・私たちが日常的に考えている「命」と「本来のいのち」の違いは・・・

 ②「いのちから生まれる『本当の存在価値』」(3月21日・木)
 ・「個の命」が生み出す自己肯定感と「いのちの流れ」が生み出す存在価値
 ・本来の「いのち」のあり方を知ることで、「生きるうえでの苦しみ」は作られたものであることを知る
 ・「いのち」より先に「生」があることで起きること

 ③「すべては流れ続けるために・・・」(4月18日・木)
 ・「生」と「死」の意味を考える

☆すべて20時から21時半までとなります。

詳細・お申込みはこちら

今回の講座は、受講料の3割を能登半島地震で被害に遭われた方へ寄付させていただき、寄付後はみなさんへご報告もさせていただきます。

 

 

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「奇跡を信じる」と記した20日後に、渓太郎は私の腕の中で息を引き取った。

 

 

【12月5日の闘病日記より】

 

『先生たちからの話。これから行う治療は、延命治療も限界に近づいてきたので、苦しまない様にするための治療だというコト。~ 中略 ~ でも、あきらめない。奇跡を信じてがんばる。』

 



 

がんを患った渓太郎がこども病院に入院したのは、1998年1月のことだった。

 

連日の大雪で、キラキラと光る真っ白な雪に覆われた大地の中に建つ赤い屋根のこども病院は、(夢であってほしい…。でも、もしかしたら本当に夢かもしれない・・・)と思っている私の目にはなんだか幻想的に映った。

 

 

「小児がん」というだけで現実なのか夢なのかがわからなくなるほどの衝撃波ではあったのだけれど、それでもその時はまだ「治療をすれば生きられる」「いのちだけは助かる」と思っていたから、こども病院は祈りを捧げたり、すがったりする教会のようにも見えていたのだろう。

 

 

 

しかしほどなくして、病理検査により病名がはっきりすると、医師の口から衝撃的な現実が次々と突き付けられた。

 

 

 

渓太郎が罹患している病気は、世界的に見ても助かった例がないということ。

 

治療法が確立されておらず、世界的にも、もっとも長く生きた子で1年間だということ。

 

渓太郎の余命は3ヶ月であること・・・。

 

そして、「病名は『MRTK』。日本語訳もされていません」という言葉が、症例が極めて少ないことを物語った。

 

 

 

そこから手探りでの治療が始まると、「金太郎さんみたいにまるまると太ってるね!」と言われていた渓太郎の体はどんどんと細く小さくなっていった。

 

 

抗がん剤が効果を示したのはたった1回だけで、あとは、がんと抗がん剤の副作用に小さな身体はむしばまれていき、渓太郎が亡くなる20日前、闘病日記に私が綴った言葉が『奇跡を信じてがんばる』だった。

 

 

 

―――私は、まったく気づいていなかったのだ。

 

渓太郎はもう、ずっと前から奇跡を起こし続けてくれていたことに・・・。

 

医師に告げられた「3か月」という余命を大幅に超えて渓太郎は命を繋ぎ続け、私は9か月もの間、奇跡の時間を生かされていたのだ。

 

 

 

(ボク、とってもがんばって、世界で一番長く生きた子のひとりになったよ~!)
 

 


 

 

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