【イノチのあり方 オンライン講座 木曜1期】開催のお知らせ

◆ 「イノチのあり方オンライン講座」全3回 ◆ (6名)
①「いのちと命」(2月29日・木)
 ・「個の命」と「いのちの流れ」について
 ・本来の「いのち」のあり方とは・・・
 ・私たちが日常的に考えている「命」と「本来のいのち」の違いは・・・

 ②「いのちから生まれる『本当の存在価値』」(3月21日・月)
 ・「個の命」が生み出す自己肯定感と「いのちの流れ」が生み出す存在価値
 ・本来の「いのち」のあり方を知ることで、「生きるうえでの苦しみ」は作られたものであることを知る
 ・「いのち」より先に「生」があることで起きること

 ③「すべては流れ続けるために・・・」(4月18日・月)
 ・「生」と「死」の意味を考える

☆すべて20時から21時半までとなります。

詳細・お申込みはこちら

今回の講座は、受講料の3割を能登半島地震で被害に遭われた方へ寄付させていただきます。

 

 

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「3ヶ月後に、渓太郎はいなくなるの・・・。この子がいなくなれば、生きている意味なんてどこにもない・・・」
 



「余命3ヶ月」という言葉に支配された身体では息をすることさえ苦しくて、(どうせなら、知らないうちに止まってしまえば・・・)と思ってしまうほどだった。

 

 

 

子ども用ベッドの上で渓太郎を抱いたまま、ただ時間だけが過ぎた。



―――その日も私は、生後数か月の渓太郎を抱いたままの状態でベッドの上にいた。


3ヶ月・・・

 

たった3か月・・・

 

生まれてから元気に過ごせた時間がたった4か月だなんて、なんのために生まれて来たのか・・・

 

 

 

 

見ることもなく視線を病室の窓の向こうに留めたまま、残酷な現実がグルグルと頭の中を巡り続けた。

 

 

 

「2人そろって消えてしまいたい・・・」と思った時、窓の向こうに留めていた視線の中にこちらに向かって歩いてくる女の子の姿をキャッチした。

 

 

 

病棟の一番端っこに位置する私たちの暮らす病室にはほとんど人が来ない。



「通り過ぎる?」と思っていると、私たちの病室の前まで来るとピタリと止まり、病室の中をのぞきこんできた女の子は、大人びてはいるものの中学生くらいだろうか。



(え?だれ?)と思っているのも束の間、女の子は腕の中にいる渓太郎に向かって
ニコニコと嬉しそうに微笑みかけた。



(きっと、赤ちゃん好きなんだね・・・)



渓太郎は、腫瘍科病棟の入院患者では最年少。

 

生後数か月の赤ちゃんを腫瘍科病棟で見る機会などほとんどないのだから、入院中の子どもたちにとっては、かわいい仲間だろう。




女の子はその場にとどまりしばらくすると、小さく「バイバイ」と手を振り、廊下の向こうに去っていった。




翌日の午後。



女の子は、また病室の前までやってきた。


昨日と同じように、ニコニコと笑いかけたり、今度は「こんにちは!」と挨拶をするように手を振った。

 

 

 

私は視線を女の子から腕の中の渓太郎に移し「渓ちゃん、お姉ちゃんだよ」と言って、反応するように促した。

 

・・・といっても正直なことを言うと、私自身が反応に困り、彼女への対応を渓太郎になすりつけた状態だ。

 

しかし渓太郎は、私の意図を見抜いていたのか、ただじっと女の子を見ているだけで表情ひとつ変えることはなかった。

 

 

 

 


そんなことが、次の日も、次の日続いたある日、主治医からこんな提案をされた。

 

 

 

「今日は血液状態もいいから、病室から出て、廊下をお散歩してみませんか?」

 

 

 

抗がん剤治療により免疫力が著しく低下していた渓太郎は、閉鎖病棟から出られないどころか、病室から出ることを禁じられていた。

 

 

もっともそれまでは、たとえ自由の身だったとしても、私自身が病室から出たいと思えるような心理状態ではなかったのだから、閉鎖病棟の中の閉鎖の個室でなんの問題もなかった。

 

 

・・・はずなのに、その時の主治医の提案に、「はい!お散歩してみます」と、少し明るい声で返した自分に少し驚いた。


「渓ちゃん、お散歩だよ!」と言って渓太郎をベビーカーに乗せると、渓太郎はキャッキャと嬉しそうに声をあげた。

 

 

 


「さあ、行こうね!」

 

 

新たな世界へ出発するかのように勢いよくベビーカーを押して廊下に出ると、間もなくして、あの女の子が駆け寄ってきた。



ベビーカーの前に立った女の子はそのままスッとしゃがんで、中にいる渓太郎と顔を合わせながら「かわいいねー!!」と声を弾ませ、首だけを上に向けると私に尋ねた。

 

 

 

「この子のお名前は?」

 

 

「渓ちゃんだよ」

 

 

「渓ちゃんかぁ。かわいいお名前だね」と言いながら女の子は立ち上がり、今度を真正面に私を見つめながら、切なさを含んだ表情をして「渓ちゃんのお母さん・・・」と呼びかけると、私を優しく諭すように話し出した。



「渓ちゃんのことが、とっても心配なんだね。ずっと暗い顔をしていたよね。


でも、心配しなくても大丈夫だよ。きっとね、私もおんなじ病気だよ。」





女の子は、右手でかぶっていたバンダナを横にずらして、髪の抜けた頭を私に見せた。



「ほら。同じ病気だけど、私ずっと元気だったでしょ。だから大丈夫」



(この子は、私を励ますために毎日来ていたんだ・・・)





このできごとから女の子と私は頻繁に話をするようになり、数日後、こっそりと私にこんなことを教えてくれた。





「私が病気だってわかったとき、お母さんが毎日悲しい顔をしていたの。

その顔を見るのがとっても辛かった・・・。

だからね。小さな渓ちゃんには、絶対に自分と同じ思いをさせたくなかったんだよ!」

 

 

 

 


―――自分の笑顔は、自分を大切に想う人の笑顔に直結し、自分の悲しみは、自分を大切に想う人の悲しみに直結する。

 

自分が幸せでいることは、自分のためだけではなく、大切な人のためでもあるのだと、中学生の女の子が私に教えてくれた。

 

 

 

 

 

【このエピソードはデジタル漫画「500日を生きた天使」にも書かれていて、もっともたくさんのご感想をいただいているエピソードです。

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