「重い胃潰瘍だから入院が必要なんだって・・・」
そう家族から説明を受けて闘病していた叔母が患っていた本当の病名は、胃がんだった。
本人がウソを見抜いていたかどうかはわからないけれど、家族や親戚は最期までウソの病名を言い通した。
これは、もう30年以上も前のことだけれど、当時はそれが常識だったと思う。
それが、渓太郎が闘病中だった25年前くらいになると、患者が大人の場合は、本人に病名を告げる傾向が見えてきて、渓太郎の病室の中で母とこんなやり取りとりをしたのを覚えている。
「お母さんだったら、本当のことを教えてほしい?」
「そりゃ、教えてほしいよ」
それから母は少し考える様子を見せて「でも…」と言ったあと、さっきの答えを弱気な声で覆した。
「気持ちが保てるかどうかと言われたら、自信がないわ・・・。やっぱり私は知らない方がいいか・・・」
本人に病名を「伝えない」から「伝える」の移行期間だからこそ、そんな会話が成り立っていたのだろう。
しかし数年前。
母に胃がんの疑いがあり精密検査を行うと、その結果を医師は、付き添っていた私ではなく、直接本人に報告した。
「胃がんですね」
「え・・・」
右手を口に当てたまま絶句する母の姿を見た私の脳裏には、渓太郎の病室での会話が蘇った。
―――「気持ちが保てるかどうかと言われたら、自信がないわ・・・。やっぱり私は知らない方がいいか・・・」
医師は続けて手術や治療についての話を続けたが、私は慌てて「母は気が小さいので、あとのことは私が決めさせていただきますね」と言って間に入った。
そしてひと通りの説明を聞き終えて診察室を出た直後、母は意外にも気丈な声でこう言った。
「渓太郎のことを思えば、私はここまで生きられた。あとはなるようになるだけだ。心配いらないよ」
渓太郎の病室で話した時の母とは、まるで別人格だった。
よく考えてみたら、渓太郎の病室で母が言った「気持ちが保てるかどうかと言われたら、自信がないわ・・・。やっぱり私は知らない方がいいか・・・」という不安は、あくまでも健康だった母が、(もしがんになったら・・・)と想像したうえでの言葉だ。
想像するのと、体験するのとでは、感じ方に大きなギャップがあるのは当然かもしれない。
―――私は今、ブログや各種SNSでたくさんのがん患者さんたちとご縁を繋いでいただいているのだけれど、私がいくら想像力を強化しても、その方たちの気持ちを正確に知ることはできないのだろう。
なぜなら私は経験者ではなく、付き添い看護者にしか過ぎないのだから・・・。
しかし反面、コメント欄でがん患者さん同士が、痛みや喜びを分かち合い、励まし合い、支え合ってる姿を拝見していると、傍らにいる私の心にまで自然と安心感や感謝の気持ちが芽生えてくる。
人の想いは伝播する。
よく「想像することが大切」と言われるけれど、もしかしたらもっと大切なのは、心を空っぽにして、伝播してくる想いそのままキャッチすることなのかもしれない。
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