「今年は自分でしめ縄を作ってみようかなぁ」と言うと、田んぼを持つ友人が「藁ならいくらでもあるよ!」と言っていい香りがする藁を届けてくれた。
するとまた別の日、突然我が家にやって来たその友人は、「しめ縄には稲穂があると雰囲気出るよ!」と言って、たわわに実った稲穂と金と白の美しい水引を置いていってくれた。
こうなると、あとに引けない・・・じゃなくて、友人に背中を押された私は実家に電話をし、「ねぇ、藁が手に入ったからしめ縄づくり一緒にやる?」と、しめ縄づくりの経験がある母を巻き込んだ。
「やりたい!やりたい!昔、よくやったよ!」
やる気満々の母の声に、(ふふ。作戦成功)。
それから、我が家にやってきた母と「ああでもない」「こうでもない」と言いながら創り上げたしめ縄がこちら。
これは母の実家のある信州大町流で、真ん中にある筒のような入れ物はご飯を入れるための物。
お正月が明けるまで、毎日ここにご飯を供えるのだそう。
そして、神棚用がこちら。
これは大町流でもなんでもなくて、「真ん中から稲穂が立っていたらかわいいよ!」と言う母の意見により、ちょっと滑稽なしめ縄となった。
―――母は昔から、なんでも手作りをするタイプの人だった。
掃除道具だと、雑巾を縫うのは当然のことで、コキアを育てて玄関を掃くためのほうきを作り、布を切り裂いてはたきを作る。
布製品で言えば、パッチワークと言えば聞こえはいいのだけれど、不要になった布を繋ぎ合わせたこたつ掛けを作ったり、お風呂場の足ふきマットを作る。
時々、見覚えのある柄の足ふきマットが実家の脱衣所に置かれていて、よく見てみると、私がゴミ袋に詰めておいた着なくなった洋服たちだったりする。
母によって救出され、捨てられるはずだった洋服たちはそうやって姿を変える。
小学生の時は音楽会の時に着る洋服も手作りしてくれたのだけれど、5年生だったか、6年生だったかの音楽会の時だけは、母は気合を入れ過ぎた。
OLさんが着るようなビシッとしたスカートとベストを作られてしまい、学校に来て行くのに気が引けた。
そんな感じの母だから、家に飾られていた絵も、父がどこかで購入してきた絵画は押し入れに追いやられ、兄や私が学校で描いたものばかりだった。
いつだったか家庭訪問でやってきた兄の担任教師が、「有名画家の絵よりも、我が子の描いた絵の方がよっぽど価値があるんですよ」と言ってくれたことがよほどうれしかったらしく、今では孫の絵が実家に飾られている。
そして今日もまた、しめ縄を作りながら母は同じようなことを私に言って聞かせた。
「買った物より、自分で作ったものの方がよっぽど価値があるんだよ。ちょっとくらいヘンでもその方がいい」
(ヘン?)
心の片隅にその一言だけが引っかかったけれど、確かに、手作りしたものには特別な価値を感じる。
なぜなら、出来上がるまでの間ずっと、友人が大量の藁を丁寧に新聞紙に包んで運んできてくれたことや、その後、改めて稲穂や水引を家まで届けてくれたことに想いが巡る。
さらには時空を超えて、祖父が幼い母へ藁の綯い(ない)方を教えてくれている場面まで目に浮かぶのだから。
―――お金では買えない価値がある。
今回のしめ縄に関して言えば、どこにも売っていない「感謝と祈りといのちの繋がり」。
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