―――愛か、本能か
愛読書の中に書かれたこの言葉を初めて見たときには「わかるー!」と思わず声をあげてしまった。
「あなたにとって、人生の中でもっとも幸せだった時はいつ?」と聞かれたら、私は迷わずこう答える。
ふたりの子どもたち(年子で生まれた渓太郎の妹と弟)と手を繋いで歩いたお散歩の時間。
いま思い出しただけで、もうどうしようもないほどの愛おしさに襲われる。
「包まれる」とか「こみ上げる」というレベルではなくて、もはや「襲われる」という表現がピッタリなくらいに狂おしい感情だ。
私が自分の「手のひら」を宝物だと思えているのは、その時繋いだムニュムニュとした小さなお手ての感覚がちゃんと残っているからなのだ。
(・・・そろそろ、読者の方の中から「この人大丈夫?」と心配される方が出てくるかも・・・)
もちろん渓太郎と生きていた時も同じような愛おしさに襲われてはいたのだけれど、その時の私は、それよりも強さの方が勝っていた。
「わが身に代えてでも、渓太郎を守る」と。
「愛おしさ」も「強さ」も、その感情もあまりにも深くて、自分が意図的に「可愛がろう」とか「渓太郎を守ろう」と思って湧かせられるレベルではなかった。
実際、ふたりの子どもたちと遊んでいる私を見た先輩ママからは「かわいくて仕方がないんだね。見ているだけでそれが伝わってくるよ」とか「子どものことが大好きなんだね。愛情深いね」と言われてしまうほどで、誉めていただいたはずの言葉でも、当時の私にとっては恥ずかしさを覚えた。
自分でもコントロールが効かないこれらの行動や感情は、「本能」なのか。
それとも、先輩ママが言っていたように、「愛」なのか。
―――愛か、本能か
私なりの答えは、今のところ「本能は、愛」「愛は、本能」。(私はこんなどうでもいことを考えるのが好きなようで・・・)
ちなみに・・・
雄のカマキリが、産卵を終えた雌カマキリに自らの身を捧げるのも、サケが産卵のために、身体をボロボロに傷つけながらも上流を目指すのも、すべてはプログラム通りのことをしているに過ぎないらしい。
そして人はこの行為を「愛」と呼んだりする。
・・・やはり人間世界においては、「本能は、愛」「愛は、本能」のような気がしてならない。
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