今でも時々、渓太郎の生存確認をした夜を思い出す。
その時の状態を「常に緊張の糸が張っていたんだよ」と言ってもらうこともあるのだけれど、私はどうもそうではない気がしている。
―――渓太郎の付き添い看護をしていたころは、熟睡中にパッと目が覚めることが頻繁にあった。
それはいつも突然だったのだけれど私の視界はとても鮮明で、すぐに上半身だけを起こすと、隣に眠る渓太郎の顔を覗き込む。
そこで小さな鼻の穴から吐き出される空気を確認すると、今度は手のひらを渓太郎のお腹の上に乗せ、ポコポコという動きを捉えたら「良かった」とひとことつぶやいて私はまた眠りに戻る。
これは意図的にしていたことではなくて、私の身体に組み込まれた自動運転装置による作動のようなもの。
ロボットになったかのように、ただ動かされている感覚なのだ。
だから、「眠いな」という苦痛もなければ、呼吸を確認したあとに大きな安堵感があったわけでもない。
だって私は、わざわざ呼吸を確認しなくても、渓太郎に異変があればいくら熟睡していてもキャッチすることができていたのだから。
だから自動運転によって起こされるときは、いつも渓太郎の健やかな寝顔を見るだけで終わった。
そのようなことを思えば「なんて無意味な装置・・・」と思ってしまいそうなのだけれど、私の中に組み込まれていた自動運転装置は渓太郎の異変をキャッチするためのものではなくて、あえて私に「異常なし」をキャッチさせることが目的だったのではないかと思う。
我を忘れて看護する私の、張り詰め続ける緊張の糸を緩めさせるための自動運転。
意図的ではないのだから、いつ、どのタイミングでこの装置が組み込まれたのかはわからないのだけれど、当時の私は人間の持つ不思議なチカラに守られ、生かされていたことは確かなことだ。
きっと今でもそう。
ただ気づいていないだけで、私たちは生きている時間のほとんどを自動運転装置によって守られ、生かされているような気がするのだ。
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