先日、20年前一緒にパートをしていた友人に会った。
彼女と会うのは半年ぶりくらいだったのだけれど、「元気だった?」とか「おー!久しぶりだね」という挨拶もなく、普通の日常会話が始まるのはいつものこと。
なぜなら、その友人とはお互いに『便りがないのが良い便り』という思いがあって、「連絡がないということは、彼女は元気に暮らしている」という気持ちが常に心のどこかにあるからなのだ。
そんな関係性になったのには理由があって、私たちはお互い、人生の闇の中をさまよっている最中に出逢っている。
私は渓太郎を亡くして5年目の時で、うつ状態から回復しかけている時だった。
彼女は彼女で、離婚が成立する直前というタイミング。
精神的立ち上がりを目指してパート勤めを始めた飲食店に、ふたりの子どもを抱えた彼女が、「とにかく、生きるため」にパートに来た。
―――彼女が働き始めた初日の勤務終わり。ふたりで歩いた駐車場までの道のりのことを私は今でもはっきりと覚えている。
店を出て、会話がないまま数メートル歩いたところで、最初に口を開いのは私だった。
「私ね。最初の子どもを亡くしちゃったの。小児がんだったんだ」
ほぼ初対面の彼女にいきなりそんな話をした。
すると彼女は一瞬立ち止まって、じっと下を向いたままゆっくりと歩きだしながら、心の奥から絞り出すようにして言葉を返してくれた。
「私のこと全然知らないのに、そんな話をしてくれてありがとう。ありがとう。本当にありがとうね」
渓太郎と一つ違いの娘を持つ彼女が、涙をこらえながら何度も何度も「ありがとう」と言ってくれたのが印象的だった。
ずいぶん経ってから彼女が教えてくれたのは、「あの時は、すごく切なくなったんだけどね。でも、初対面の自分のことを信じて話してくれたことが本当にうれしかったよ」と・・・。
しかし、私がいきなり渓太郎のことを話したのには理由があって、あらかじめ渓太郎のことを話しておくことで「自己保身」をしようとしていたのだ。
私は明るく元気に仕事ができないかもしれないよ・・・
もしかしたら、途中でやめてしまうかもしれないよ・・・
そのときは、ごめんね・・・って。
だから彼女が絞り出すように「そんな話をしてくれて、ありがとう」と言ってくれた時は、ちょっとばつが悪かった。
けれどこのことがきっかけで、私は彼女を心から信頼するようになり、精神的安定を取り戻せたのも彼女の存在がとても大きく影響したと思っている。
夜中に突然、泣きながら彼女に電話をすること数知れず・・・
そんな私からの電話をすぐに取れるようにと、彼女は携帯を枕元に置くようになった。
私は私で、「美幸ちゃん、特になんでもないけどかけちゃった」と電話がくると、理由も聞かないまま「今から行くね!」と彼女の家まで車を走らせた。
なんでもないわけがないことは、十分わかっていたのだから・・・。
そんな時代があったからこその『便りがないのが良い便り』。
それは別の言い方をしたら、「困ったことがあったらすぐに連絡をくれる」という安心感でもあり、さらに言うと、「幸せでいてくれればそれでいい」という条件抜きの祈りでもある。
人生の暗闇の中で出逢った彼女と私はお互いに、安心感と祈りを捧げ合っているような気がする。
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