おととい突然、叔母が家に訪ねてきた。
玄関の扉を開けると叔母は、手に持っていたシャインマスカットを差し出しながら「今年は一人で手伝いに行ってきたよ。毎年父ちゃんと一緒に手伝いに行ってたのになぁ・・・」と言うと、私の手にシャインマスカットの入ったパックを乗せて、「跳ねだしだからいいものじゃないけど、食べて」と力なく言った。
その姿に私が「おばちゃん、切ないね」と言うと、叔母が「少し話していってもいいかい?」と遠慮がちに尋ねてきたので、私は「座って話そうよ」と言って家の中に招いた。
「よいしょ」と言って床に座ると叔母は、一昨年、突然亡くなった叔父のことを話し出した。
叔父は、なんとなく体調が悪いということで検査入院をしたのだけれど、数日後に体調が急変し、そのまま帰らぬ人となった・・・ということは、私は葬儀の時に聞いていた。
家族全員が「まさか」という状態での死別だったのだけれど、亡くなる前の日、叔母と叔父の間では、こんなやり取りがあったそうだ。
その日、家にいた叔母はなぜか、「父ちゃんに謝らなくちゃ」と思いたち、叔父の携帯に電話をしたのだという。
「父ちゃん、私はわがままな女房でごめんね。気が強くて、父ちゃんに強いことばっかり言っちゃって本当にごめんね」
そう言うと叔父は、「そんなことはいいんだ。いいんだ。お互いさまだ。俺も謝ることばっかりだ」と答えてくれたそうだ。
それから間もなくして叔父は話をすることができなくなり、この世をあとにしたのだと・・・。
叔母がなぜ謝りたくなったのかは、本人にもわからないらしい。
叔父は検査のための入院をしていたのだから、まさか亡くなるとは思っていなかったのだから・・・。
その話をしたあと叔母は「謝れてよかった。父ちゃんに許してもらってよかった」と言って涙を流すと、「言葉にしなけりゃ、なにも伝わらないもんなぁ」「なんでそんなことを言ったのかはわからないけど、言葉にしてよかった」と何度も何度もつぶやいた。
言葉にしなければ、なにも伝わらない・・・
よく聞く言葉だけれど、「謝れた」「許してもらえた」ということを支えにしながら生きている叔母を目の前にして、それがどれほど重要なことなのかを初めて実感した気がする。
人間だけに与えらえれた言葉を、大切に、大切に使わせてもらおう。
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