昨日ふと・・・

 

渓太郎が亡くなって数か月が過ぎたとき、近所のスーパーに食材の買い物に出かけた時のことを思い出した。

 

 

その日、私はいつものように、野菜コーナーでいくつか新鮮野菜をかごに入れると、魚コーナー、お総菜コーナーとお決まりのルートを巡り、右折してお菓子コーナーに向かった。

 

するとそこには、3歳くらいの男の子をカートに乗せた先客ママがいた。

 

 

私の目の前で、男の子は「買って!買って!」と足をバタつかせながら大騒ぎをはじめ、「ひとつだけね」と言い聞かせるママの声を遮断するよに、身体をのけ反らせたり足をばたつかせたりして、カートからはガシャンガシャンと金属音が響いた。

 

私はその姿がうらやましくて、胸の奥から一気に涙が込み上げた。

 

 

私も、こうなるはずだったのに・・・。

 

私だって、渓太郎にこんなふうに反抗期してほしかた・・・

 

わがままを言って、困らせてほしかった・・・

 

 

 

―――と、そんなことを思い出したのには、実はとても深い理由がある。

 

 

昨日、20代の女性があるSNSに載せた手紙の中に、こんな言葉があるのを目にした。

 

 

「お母さんの介護をしたかった」

 

「おばあちゃんの介護もしたかった」

 

 

女性はガンに罹患されていて、すでに終末期を迎えられているとのことだった。

 

 

 

(・・・あのころの私にとって、子どもに反抗されたり、わがままを言われたりすることが夢だったように、この女性も身近な人を介護することが夢なんだ・・・)

 

涙が止まらなかった。

 

そして、今の自分にハッとした。

 

 

私は渓太郎との闘病生活や他界後のことを決して忘れてはいない。

 

けれど、「忘れていない」のと「実感していない」のとは違う。

 

 

 

あれほど憧れた日常生活を取り戻した私は、憧れだったはずの日々の中に「不平不満」を見つけ、口にする。

 

 

先日もそう・・・。

 

「また、ラインの電話が使えなくなっちゃった」と頼ってきた母に、何度同じことを聞くの?とでも言わんばかりに「だからね!」と、私は面倒くさそうに返事をした。

 

 

私のその姿を、先ほどの20代の女性が見たらなにを思うだろう・・・。

 

 

そんなことを思っていると、もはや、日常を取り戻した今の方が幸せなのか、それとも、悲しみの底ではいつくばって生きていたころの方が幸せなのかさえわからなくなる。

 

 

だって・・・

 

 

渓太郎他界後に生まれてきてくれた娘や息子が反抗期を迎えた時、私は嬉しくてうれしくて、娘が反抗して拗ねると、「よ~し、よし。かわいいねぇ」と頭をなでて抱きしめた。

 

息子には、「ねえ、『くそばばあ』とか言わないの?」と反抗を催促したくらいだ。

 

 

なにもかもが幸せだった。

 

 

20代の女性に心から感謝しながら、女性の言葉を胸に刻みたい。

 

 

 

(「おやつだよ。『あ~ん』」と、弟におやつをあげる優しいお姉ちゃん)

 

 

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