『もし、目の前に不老不死の薬があったら、飲みますか?』
これは、私がこれまでいろいろな人に聞いてきた質問。(きっとこれからも聞くであろう・・・)
なぜこんなことを聞くのかというと、この質問をすると老若男女問わず、高確率で不思議な答えが戻ってくるからだ。
先日も東京から友人ご夫婦が遊びに来た時に同じ質問を投げかけた。
「もし、不老不死の薬があたら飲む?」
すると答えを出す前に、夫さんからいくか質問返しが飛んできた。(この質問返しも、高確率で発生する)
「それは、健康体のままの状態で死なないということ?」
「今の自分のまま生き続けるということ?」
私が「うん。健康なままの状態だったとしたら・・・」。
すると、「ん~・・・。死ねないんだよね・・・」とつぶやきながらしばらく考えると、夫さんは「飲まない。健康のままだとしても、俺は飲まない」と答えてくれたものの、そのあとも自分の答えがすっきりと腑に落ちないよいのか「ん~・・・」。
黙って聞いていた妻さんはというと、「うん~・・・」と答えは見つからないようす。
先月もある友人に同じ質問をすると、やはり先ほどのご夫婦と似たような質問返しをしたあと、「私は、たぶん飲まない。死ねないのはやだ」と答えたあと、こう付け足した。
「死ぬのも嫌だけど、死ねないのも嫌だよ」
(どっち?)と言ってしまいたくなるのだけれど、高確率で戻ってくる不思議な答えとはこのこと。
―――「死ぬのも嫌だけど、死ねないのも嫌だよ」
実はこの「もし、不老不死の薬があたら?」
の質問は、渓太郎が終末期に入ったときに私が自分にした質問なのだ。
渓太郎の旅立ちをどうしても許すことができない状態のまま、その日は刻一刻と近づき、「私はどうしたら、渓太郎の死を受け入れることができるのか・・・」と考えた時に、ふと、湧いてきた。
「永遠に死なない薬があったら、私は渓太郎に飲ませるか?」
すると意味もなく「それは怖い」と思った。
私たちの自我は「死なずに生き続けたい」と思ってみても、やはり、自然の摂理に逆らうことに恐ろしさや怖さを感じるものなのではないだろうか。
与えられたいのちに従って生かされ、死なせてもらうことに、どこか安心感や調和を感じるのだとしたら、よく言う「不老不死は人類永遠の夢」は本当か・・・?
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