こんにちは。幸せを運ぶ語りびと 中村美幸です。ご訪問下さり、ありがとうございます。

このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。

中村美幸オフィシャルサイト

 

・~・~・~・

 

自死のニュースをたびたびに耳にする、いま。

 

 

「渓太郎の命の選択」を迫られた、あのときのことがよみがえる。

 

それは頻繁に、頻繁に・・・。

 

 

 

 

ーーーそのとき、抗がん剤を強いられた幼い体は、もう限界に近かった。

 

「渓太郎の少しでも幸せな時間を…」と願う医師は、面談室の中で私に向かってこう言った。

 

 


「今、治療をやめれば、渓太郎くんはもう、まったく苦しむことなく二週間くらいはおうちで楽しく過ごすことができると思います。

 

もし延命のための治療を続けるなら、苦しいことも多いですが、二か月くらいは生きられるかもしれません。

 

・・・おうちに帰られますか?」

 

 

息を吸ったまま吐くこともできなくなり、ただ愕然としながらつぶやいた。

 

 

 

「・・・二週間・・・って」

 

 

 

そんな自分の絶望の声が、頭の中に、とてつもなく大きなカレンダーを浮かび上がらせた。

 

私はそのカレンダーに向かって人差し指を伸ばすと、赤字で示されている日曜日を指さし、スーッと横に指を動かして土曜日の位置で指を止めた。

 

 

(これで一週間……)

 

 

そして、次。

 

 

その下の書かれた日曜日を指さし、スーッと土曜日まで指でなぞったとき・・・

 

そのあまりの短さに発狂した。

 

 

 

「ヤダーーー!!!」

 

 

 

 

胸の中で恐怖が爆発し、その勢いに押されるまま私は、怒涛の勢いで医師に向かって言葉をぶつけた。

 

 

「先生!治療してください!」

 

「がんが治らなくてもいいです!」

 

「ただ渓太郎が生きているだけでいいから!」

 

「だから、治療してください!」―――

 

 

 

 

 

 

心の中に浮かぶそんな場面を見つめながら、50歳手前になった今の私が27歳の私に向かって一方的につぶやく。

 

 

「渓ちゃんと、一緒に生きたかったね…」

 

「ずっと、抱っこしていたかったね…」

 

 

 

こんなふうに、我が子に先立たれる人生に愕然としている27歳の私は今でも私の中に存在していて、そして、今でも絶望に震えている。

 

「もういっそ、渓太郎と一緒に死んでしまいたい」という思いに駆られ、病院を抜け出す計画を練っている自分も…

 

渓太郎が死んだら私も死んで、同じ棺の中に入れてもらおうと決めている自分も…

 

私の中にいる。

 

 

 

しかし、そんな自分に、私はこれまで一度も「命は大切にしなくちゃいけないね」とか、「死ぬなんて考えちゃだめだね」とつぶやいたことはない。

 

 

 

なぜなら、そう言わなくていい(もしかしたら、そう言ってはいけない)はっきりとした理由があるからだ。

 

 

当時、我が子に先立たれるであろう人生を生きる私の目に映っていたのは、確実に死に向かって進んでいく小さな身体。

 

聴こえてくるのは、「ハア、ハア」という苦しそうな呼吸。

 

そして、検査が行われるたびに突き付けられるのは、一日一日と死が近づいている事実・・・

 

そんな真っ暗な闇の中を生きていた私にとって、生きることは、あまりにも辛く、悲しく、苦しいことだった。

 

だから私は、「生きることをやめたかった」。

 

言い方を変えると、「渓太郎と一緒に楽しく生きたかった」ということだろう。

 

それはけっして、「命を無駄にしたかった」わけでもなければ、「命を大切にしたくなかった」わけでもない。

 

厳密に言うと、死にたかったわけでもない。

 

ーーー「生きることをやめたかった」のだ。

 

 

 

 

日常生活の中で「命を大切に」という言葉を目にするたび、私の心の中では、いくつもの問いが駆け巡る。

 

 

延命治療を強いた私は、命を大切にできたのか…
 

治療を中断したら、私は渓太郎の命を大切にしなかったことになるのか…

 

命がけでシャッターを切り続ける戦場カメラマンは、命を大切にしているのか…

 

「お国のために…」と飛び立った特攻隊は…

 

 

 

「命を大切に『する』」ということの答えが、いまだ私には見つからない。

 

 

 

だから、私は・・・

 

 

 

「命」とは、大切に『する』ものではなくて、感謝するもの。

 

そして、

 

私が大切にできるのは、「生きること」。

 

 

 

 

 

そんなことを思いながら、星野富弘さんの詩を何度も、何度も味わう。

 

 

『いのちが一番大切だと

 

思っていたころ

 

生きるのが苦しかった

 

 

いのちより大切なものが

 

あると知った日

 

生きているのが

 

嬉しかった』

 

 

(「鈴の鳴る道」偕成社 著 星野著富弘  より引用)

 

 

 

 

付き添い看護をしていたある日。

 

ずっとしがみ付いていた渓太郎の「命」への執着を手放して、小さな命へ感謝することができた。

 

その瞬間、一分、一秒を生きていることが嬉しくてたまらなくなった・・・

 

 

目を「へ」の字型にして、ニコニコと笑った顔。

 

顔を真っ赤にして泣いた顔。

 

ふんわりとした生暖かい、渓太郎の香り。

 

抱っこした時に伝わる温もり。

 

 

その一分一秒が、嬉しくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆個別セッション 「あなたと私のおはなしの時間」◆

私にできることは、あなたと語り合い、心を通わせ合って、『あなたが抱えている悲しみや葛藤の奥にある「愛」に気づいてもらうこと』

『見える「いのち」ではなく、「いのち」の本当の繋がりを感じてもらうこと』

『あなた自身でも気づいていない、大切な人への愛に光を当ててもらうこと』

詳細・お申込みはこちらをご覧ください ⇒ 個別セッション「あなたと私のおはなしの時間」

 

令和2年度 PTA講演会のご依頼を受け付けております