こんにちは。幸せを運ぶ語りびと 中村美幸です。ご訪問下さり、ありがとうございます。

このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。

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現在こちらのブログでは、著書「その心をいじめないで」の公開をしていますが、今日はいったんお休みさせていただきます。

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そのとき私は、目を閉じ横たわる渓太郎を目の前にして「旅立った」とか「失った」という言葉の意味を必死に考えた。
 

 

「だって、ここにいるじゃない!

 

渓太郎はどこにも行かず、私の目の前にいるじゃない!」

 

 

「渓太郎は旅立ってもいないし、私は渓太郎を失ってもいないじゃない…」

 

 

今まであったものがなくなることを「失った」とか「旅立った」というのなら、すぐそこに渓太郎がいることで、私はそのふたつの言葉をどうやっても受け入れることができなかった。

 

そんなことを考えていると、ふと、渓太郎の体の中身が空っぽになっているような気さえしてきた。

 

それはまるで、だるまさんのように中が空洞で、外枠だけを薄く残してどこかに行ってしまったような…。

 

なんとか渓太郎の旅立ちを受け入れようとしていたせいかもしれない。

 

 

確かに渓太郎の体はここにあっても、触れてみれば冷たいし、「渓ちゃん」と呼んでも笑わない。

 

「渓ちゃん、笑ってごらん!ねえ!」といくら声を荒げてみても、ピタッと閉じた口は開かない。

 

 

(やっぱり外枠だけ残して、渓太郎の中身が私の元から離れていったんだ…。

 

それに…

 

あと数時間すれば、渓太郎の肉体だって灰になる…)

 

 

 

 

火葬場では、私は高い煙突から登っていく煙を見続けた。

 

 

(渓太郎の体が煙になっていく…

 

もう、どうやってもあの可愛い顔を見ることも、やわらかい体にも触れることができないんだ…)

 

 

あえて煙を見ていたのは、そんなことを自分に言い聞かせるためだったのかもしれないけれど、その時はもう、絶望すぎて悲しみも感じなかった。

 

 

 

しかしそれから、私は何度も渓太郎の「存在」を感じる経験をした。

 

変わらず渓太郎を愛していることから「悲しみ」や「寂しさ」が生まれ、その切ない感情によって私は、無意識に渓太郎の「存在」を確かめていたり…

 

どこかで「存在」を感じるているからこそ、もっと、もっと…と渓太郎を求めたり。

 

「今すぐに目の前に現れてほしい」

 

「もっとちゃんと声を聞かせてほしい」

 

「もう一度、抱っこさせてほしい…」…と。

 

ときには、科学的には証明のできないようなことも起きたりした。

 

 

そして今になれば、その時の私に何が起きていたのかを、少しだけ上手に自分に説明できるようになった。

 

 

不確かな「実体」を求めても、渓太郎が今ここに在り続けていることを感じることはできない。

 

けれど「存在」を認め、感じられたら、渓太郎がここに在り続けていることを確かに感じることができるのだと…。

 

 

目に見えてあるのが「実体」。

 

見えても見えなくてもあるのが「存在」。

 

 

いくら「実体」があったとしても、その人のことを知らなければ、私の中にその人の「存在」はない。

 

だとすれば、その逆もきっとある。

 

私の中に渓太郎の「存在」があったとしても、「実体」としてはない…ということも。

 

 

 

ーーーそんなことを考え続けた遺族である私と、1級葬祭ディレクターである石川太一さんとの対談がブライト信州さんの会報誌『だんらん』に掲載されています。

 

ブライト信州さんより、全文公開の許可をいただきましたので、もしよろしければご覧ください。

 

 

 

 

 

 

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