☆「幸せは足元に落ちている」~我が子を看送る時間の中で~@長野
【長野】6月22日(土) 14時~16時半(開場13時45分)
<場所>長野リサイクルプラザ多目的ホール
<入場料>2,500円(小学生~高校生500円)
その他、講演会等についてのご質問・お問い合わせはこちらよりご連絡ください。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~~*
こんにちは。本当の愛と幸せを届ける講演家 中村美幸です。
ご訪問下さり、ありがとうございます。
このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。
・~・~・~・~・
【あなたが生きている価値は何ですか、と聞かれたら、大抵の人が面食らうだろう~~~】
そんな言葉から始まる、長野日報2月21日付けの「八面観」。
友人からの連絡により、この記事の中に自分のことが書かれていることを知った私は、すぐに長野日報に電話をかけた。
「『八面観』の記事の中に、取り上げていただいた中村美幸と申しますが・・・記事を書いてくださった尾崎さんはいらっしゃい・・・」
そういうや否や、電話の向こうから大きな声が!!
「あ~!!中村さんですか!!連絡もせずに、勝手に書いてしまってすみません!尾崎です!」
「いえいえ、本当にうれしかったんです!!取り上げて下さり、ありがとうございます!!」
「これは記事にした方がいいなと思って、許可も取らずに書いてしまいました!」
実は、尾崎記者と私は、直接会ったこともなければ、話をしたこともない。
別の記者の取材を受けた際に録音してあった音源を、たまたま尾崎記者が聴いてくださったことでこの記事に至ったのだ。
取材を受けた時に自分が何を話したのかは記憶にないのだけれど、尾崎記者は、渓太郎との闘病生活の中で見つけた、私にとってもっとも大切なテーマ、『存在=愛』を的確に記事にしてくださった。
【私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちには、生きる意味がある。
なにかを生み出すことだけが生きる価値ではない】
尾崎記者がそう書いてくださったように、私たちが生まれてきた意味は「何かになること」や「何かを生みだすこと」ではなく、ただ「生きること」。
どんな人でも、生まれてきた目的は「生きるため」。
そして、きっと・・・
『生まれて、生きて、死んでいく・・・』この一連の流れのすべてが「生きること」に含まれるのだと、生後4か月で腫瘍科病棟に入院をし、人生のほとんどを病室の中で過ごして先立った渓太郎が教えてくれた。
どんな誕生であっても・・・
どんな人生であっても・・・
どんな最期であっても・・・
「生まれて、生きて、死んでいく」、この一連の流れ以上に、「生まれてきた」大きな目的はほかにない。
―――尾崎記者の想いが、より多くの方の心に届きますように。
6月22日(土)、長野市リサイクルプラザにて交流会が開催されます。
「交流会」とはいっても、皆さんが本当に交流されるのはきっと、私ではなく、心の奥にいる「本当の自分」と「本当の気持ち」。
これまで深すぎて見えなかった心の奥に光が灯り、そこにある「本当の愛」に目を向けていただくことができたら、そんなにうれしいことはありません。
☆「幸せは足元に落ちている」~我が子を看送る時間の中で~@長野
【長野】6月22日(土) 14時~16時半(開場13時45分)
<場所>長野リサイクルプラザ多目的ホール
<入場料>2,500円(小学生~高校生500円)」
~こちらのブログはリブログしていただいて構いません~