こんにちは。本当の愛と幸せを届ける講演家 中村美幸です。
ご訪問下さり、本当にありがとうございます。
このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。
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「♪渓ちゃん、渓ちゃん、かわいいね。渓ちゃん、渓ちゃん、だいすきよ」
「♪渓ちゃん、渓ちゃん、かわいいね。渓ちゃん、渓ちゃん、だいすきよ」
自作の子守唄を繰り返す時間が増えた。
20年前の12月。
それは、もう、かわいい声を上げて笑うこともなくなり、お座りをすることもなく静かに目を閉じている渓太郎のために私ができたこと・・・。
私の口から流れる穏やかで優しい唄声とは裏腹に、心の中にいるもう一人の私は、間もなくやってくるであろう渓太郎との別れに怯え、声をあげて泣いている・・・。
(渓ちゃんがいなくなったら、私はどうなっちゃうの・・・。
お願い・・・お母さんのそばからいなくならないで・・・)
襲いかかってくる恐怖を鎮めるように、私は人生をかけた「一生に一度の願い」をした。
(ほかには何も望まないから・・・。
ただ、渓太郎が息をしてくれているだけでいいから・・・。
私は一生、この病室の中で生きていられればそれでいいから・・・)
しかし、その願いは届くことはなく、それから数日後の12月25日クリスマスの夕方。
渓太郎は小さな肉体を遺して天国へと旅立った。
「渓ちゃん、おうちに帰るよ」
もうだっこをせがむこともない渓太郎を抱き上げ、玄関に向かって廊下を歩いていると、ロビーに飾られた見上げるほど大きなクリスマスツリーが私の目に映った。
「渓ちゃん、クリスマスツリー。きれいだね」
腕の中の渓太郎にそう囁くと、私は無意識に「キャッキャ」という笑い声を待ち続けた・・・。
動かない渓太郎を抱いていることに気づき、自分に向かって言い聞かせる。
「渓太郎は死んだんだよ・・・」
自宅へ向かって走る車の窓から、安曇野の町の夜景が見えた。
「渓ちゃん、お外がきれいだよ」
渓太郎のまぶたが開くのを待ち続ける自分に、また・・・
「渓太郎は死んだんだよ・・・」・・・と。
けれど、いくらそんなことを言ってみても、いまだ「ただ息をしてくれているだけでいいから…」と願う私は、腕の中の渓太郎に生きている証を求め続けた。
「お目目を開いてごらん。渓ちゃん、夜景がきれいだよ。ほら、渓ちゃん!」
「渓ちゃん。笑ってごらん!」
「ねえ、渓ちゃん。ねえ!」
それから何日間も、渓太郎に求め続けた「生きている証」。
「渓ちゃん、会いたいよ・・・」
「声が聴きたいよ・・・」
「だっこがしたいよ・・・」
しかし、額縁の中の渓太郎は、表情を変えることなく微笑み続けるばかり・・・。
行き場のない悲しみは、しばらくすると怒りに姿を変えた。
「どうして死んじゃったの!親より先に死ぬのは、親不孝なんだよ!」
「お母さんはこんなに泣いているのに、どうして渓ちゃんは笑っていられるの!」
そして・・・
「もう、いっそのこと、渓ちゃんとなんて出逢わなければよかった!」と言った時・・・
やっと、あの頃の感覚が全身に蘇った。
渓太郎を抱く腕の中から漂ってくる生暖かい温もり・・・
ニコニコと笑うかわいい笑顔・・・
「キャッキャ」と声をあげながら、手足をバタバタと動かす渓太郎・・・。
すると・・・
あの頃と同じ、穏やかで優しい声が私の口からこぼれた。
「渓ちゃん、楽しかったね・・・」
「お母さんのところに生まれてきてくれて、本当にありがとう」
ーーー別れは私から、幸せを奪ってはいなかった。
悲しみが深ければ深いほど、その中にはたくさんの「幸せ」や「喜び」が詰め込まれている。
「悲しい別れ」は、「幸せな出逢い」によってつくられているのだから・・・。
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