こんにちは。本当の愛と幸せを届ける講演家 中村美幸です。

ご訪問下さり、本当にありがとうございます。

このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。

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「自ら命を絶ってしまうことが多い現状について、どう思われますか?」

 

 

長野大学で開催さた「生と死」について考えるゼミの中で、ゲストスピーカーとして招かれていた私に、一人の女子学生が質問をした。

 

いろいろ思いを巡らせて見たものの、どうしても答えが出せなかったらしく、彼女は深い呼吸を繰り返しながら、ささやくように訊いてくれた。

 

 

そんな彼女に私は、自身が思う「命」と「生きる」の違いについて話すことで、自死についての考えをお伝えしてみたものの、どうしてもすっきりとしない思いが残り、ゼミ終了後、自宅へ向かう車の中で思いを巡らせた。

 

 

(自ら命を・・・か・・・)

 

 

すると、ふと・・・。

 

月に2回お手伝いをさせていただいている精神科病院に設置されたサロンに来店される患者さんたちが頭に浮かんだ。

 

そこで私は、これまで何十人(何百人?)もの患者さんと会話を楽しませていただき、時にはハグをしたり、握手をしたり、とても温かい時間を過ごす。

 

反面、患者さんは時々、自分を忌み嫌う激しい言葉を発することもあり、「うん、うん」と聴きながらも、切ない涙がこみ上げる。

 

 

(ギリギリのところをなんとか生きてこられたんだな・・・)

 

(どれだけの思いを抱えてきたのだろう・・・)

 

 

 

車の中でそんなことを思い出していると、ふと、「ギリギリ」という言葉と、渓太郎の末期の状態がリンクした。

 

 

「ハァ、ハァ・・・」と荒い呼吸を繰り返し、「ギリギリ」の状態を生きていた渓太郎・・・。

 

そして、そのギリギリが限界を迎えた時、渓太郎はこの世を去った。

 

 

 

(人は限界を越えた時、この世を去るんだ・・・)

 

 

 

 

肉体の限界を越えて他界した渓太郎は、「病死」と呼ばれる。

 

それなのに・・・

 

心の限界を越えて他界した人を「自死」と呼ぶ・・・。

 

 

どちらも限界を迎えての死であるならば、「みずから」と言うのは、なにか違う気がしてならない。

 

 

だって人は、肉体だけで生きているのではないのだから・・・。

 

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