こんにちは。本当の愛と幸せを届ける講演家 中村美幸です。

ご訪問下さり、本当にありがとうございます。

このブログでは、小児がんを患った長男(渓太郎)との闘病、別れを通して知った「幸せ」や「愛」、「命」「生きること」について綴らせていただいています。

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「言葉にしたことはなかったけれど、きっとうちの母も、美幸さんと同じくらい悲しい思いを抱えていたんだろうな・・・」

 

すでに他界されているお母さんを偲びながら、その女性はポツリ・・・。

 

自分が生まれる前に病気で亡くなった兄弟がいたことを、大人になってから、お母さんではなく遠い親戚から聞いたのだという。

 

「母の話を聞いてあげればよかったな・・・」

 

後悔した表情を浮かべて、またポツリ・・・。

 

 

 

 

「今いる渓太郎くんの妹さんや弟さんは、渓太郎くんがいたことをどう思っていますか?」

 

そんな質問をされることが多くある。

 

先日も、新聞記者の方から同じ質問を受けた私は、「たぶん、特別な気持ちは持っていないと思います」と答えたあと、二人の日常を振り返りながら続けた。

 

 

「『兄弟は何人?』と聞かれれば、『今はふたり』と答えたりしていますし、ムスコは書類の続柄にも、迷いなく『次男』と書きますし・・・。

 

ただ・・・

 

渓太郎が亡くなった時のことを、生まれた時から聴かされているから、命は自分だけのもではないということを無意識に感じているようです。

 

子どもたちが小学生だった頃、こんなことがありました(その内容は下のリンクをご覧ください)

 

 

 

我が子に先立たれた者を母に持つムスコならではのできごとに、私はこのとき、心の底にずっと抱えていた恐れと葛藤から、やっと解放された気がした。

 

 

 

その恐れと葛藤は、

 

「お母さんは、お兄ちゃんことが大事なんだね」

 

「お兄ちゃんが一番なんだね」と、子どもたちに思われてしまうのではないかという不安から生まれていた。

 

 

亡くなってもなお、渓太郎を愛おしく思っていることや、失った悲しみや寂しさを話している母を見て、そんな気持ちが湧いていたら、と思うと・・・。

 

 

しかし、モグラ退治をしようとする父に向かって言ったムスコの言葉―――「モグラにだってお父さんもお母さんもいるんだよ!」は、私の心の中に入った瞬間、「自分たちも命がけで愛されている」という言葉に変換された。

 

(大丈夫。渓太郎を失った悲しみを「母の愛」として、同様の愛が自分たちに向けられていることを、ちゃんとわかってる・・・)

 

 

 

「言葉にしたことはなかったけれど、きっとうちの母も、美幸さんと同じくらい悲しい思いを抱えていたんだろうな」

 

そう言った女性のお母さんが、他界した兄弟について話さなかったのも、きっと「あなたを愛している」の証。

 

そして、「母の話を聞いてあげればよかったな・・・」というお母さんへの愛を、心の奥から引き上げてくれたのも、「話さなかった母の愛」