(3ヶ月後、本当に渓太郎はいなくなるの・・・)

 

数日前、医師から宣告された言葉が、片時も頭から離れない。

 

 

 

「余命3ヶ月です」




(渓太郎のぬくもりも・・・

 

「キャ、キャッ」という笑い声も・・・

 

まあるいほっぺも、ちいさな手も・・・3ヶ月後には・・・)

 

 

 

あまりの恐怖で身動きができない。

 

 

渓太郎がどこかに行ってしまわないように、私はただただ、ベッドの上で渓太郎をギュッと抱きしめ続けた。

 

 

(渓太郎がいなくなったら、私は一生、笑うことも、幸せを感じることもないだろう・・・。

 

そんな人生になんの意味があるのか・・・)

 

 

そんなことを考えながら、ただ渓太郎を抱きしめるだけの一日を繰り返していた、ある日のこと。


いつものように渓太郎を抱きしめながら、視線の先にある廊下をボーっと眺めていると、
廊下を歩く一人の少女の姿が目に映った。


(どこに行くんだろう・・・)


こちらに向かって歩みをすすめる少女の姿を、気に留めるつもりもなく、ただなんとなく目で追っていると、私たちの病室の前まで来たところで少女の足がピタリと止まった。


(え・・・?)


ガラス戸の向こうに、病室の中を覗き込む少女の上半身が見えた。

 

 

(なんだろう・・・)と思っていると、私の腕の中にいる渓太郎に向かってなのか、ニコニコ、ニコニコとほほ笑みかけてきた。


(・・・きっと、赤ちゃん好きなんだね)と思ってはみたものの、少女の微笑みに対して、私は無表情な顔を向けることしかできなかった。

 

 

そのときは、もう笑顔のつくり方さえ忘れかけていたのだ。



そんな私たちのもとに、少女は翌日もやってきた。

前の日と同じように、渓太郎に向かってニコニコ、ニコニコと笑いかける少女。

 

無表情な母親の腕の中で、渓太郎だけは笑ってくれていることが、ほんの少しだけ救いだった。


次の日も、また次の日も少女はやってきた。


すると、ついに、私の心にほんのわずかな変化が起きた。


(今日も来てくれるかな・・・)


少女が来てくれるのを心待ちにしている自分がいた。


少女の笑顔によって、停止していた思考が少しづつ動き始めたのかもしれない。




それから数日後。

私はとんでもない事実を知ることになった。

 

 

 


その日、入院以来はじめて、渓太郎を散歩に連れ出すことにした。

 

とは言っても、外出許可が出されたわけではないのだから、病棟の廊下をぐるっと周る程度なのだけれど・・・。


自宅から持ってきた乳母車の中に渓太郎を乗せて、病室の重い扉を開き、廊下に出た。

・・・とたん、あの少女が、こちらに向かって走ってきた。



(あ!あの子だ!)



ニコニコしながら走ってきた少女は、私たちのところまで来るとスっとしゃがんで、乳母車の中の渓太郎を覗き込みながら私に訊ねてきた。



「ねえ、この子のお名前は?」


「渓ちゃんだよ。」


「そうか、渓ちゃんか。 可愛いお名前だね」



短い挨拶を終えると、少女はサッと立ち上がり、真正面から私の顔を見つめて言った。




「渓ちゃんのお母さん。渓ちゃんのことが、とっても心配なんだね。

ずっと暗い顔をしていたよね。

でも、心配しなくても大丈夫だよ。きっとね、私もおんなじ病気だよ。」




そう言うと、少女はかぶっていたバンダナを少し横にずらして、副作用で髪の抜けた頭を私に見せた。



そして、思いっきりの笑顔で私に言ったのだ。



「同じ病気だけど、私ずっと元気だったでしょ!」



(・・・そういうことだったのか!)



その時、ようやく気がついた。



少女が毎日笑顔を送りに来ていた相手は、渓太郎ではなく私だった。


無表情で渓太郎を抱き続ける私を励ますために、少女は同じ病気であろう、自分の元気な姿を見せに来ていたのだ。



それから数日後、少女は、こっそりと教えてくれた。




「私が病気だってわかったときね、お母さんが毎日悲しい顔をしていたの。

その顔を見るのがとっても辛かった・・・。

だからね。小さな渓ちゃんには、絶対に自分と同じ思いをさせたくなかったんだ!」




心の中で少女に誓った。――― 「必ず、幸せに生きる!」

 

 

 

「悲しみや苦しみがたくさんある人生だったとしても、それでも幸せを見つけながら生きていくよ!」・・・と。

 

 



乳母車