「生と死を考える会」上田支部で講演をさせていただいた直後、
「うちの大学の学生にも、ぜひ聴かせてあげてください。」と会長が涙を流しながらおっしゃってくださったのは、今から7年前。
そのことがきっかけとなり、その翌年、会長が教授をされている長野大学で、私は特別講師として一年生の授業を担当させていただくことになりました。
しかし、私は準備の段階から完全に手探り状態となりました。
大人や小・中学生に向けての講演経験はあるものの、
果たして、大学生に天使になった子どもたちのメッセージは届くのか・・・。
大学生って、大人なんだろうか・・・子どもなんだろうか・・・。
もう何から何まで未知の世界のように感じ、
「とにかく精一杯の心を心を込めて、やるしかない!」
そんな気持ちで授業を担当させていただいたのです。
そして、いざ授業に入ると、私の目の前には、
涙を流しながら聞いてくれる学生の姿。
渓太郎の笑っている写真を見ながら笑顔を浮かべてくれる学生の姿。
ゆっくりと頷きながら聴いてくれる学生の姿があって・・・。
そしてなんと・・・。
授業が終わり家に帰ると、私のもとに学生から何通ものメールが届いたのです。
その中で
「今日、はじめて前を向こうと思えました。」と書いてくれたのは、東日本大震災に遭われ、家族で長野に移り住んできた学生でした。
それは私にとって、
(子どもたちが遺したメッセージをどのように理解するかは、年齢や性別によっても違うけど、きっと、直接心に届くなにかがあるはずだ・・・)
と思えたできごとでした。
それから毎年特別授業をさせていただくようになり、今年は教授がご退職の年。
それに伴い、今日は私にとって最後の授業でした。
さみしい気持ちで向かった教室までの道。
この道を通りながら
(精一杯届けよう。頭でなく心で伝えよう・・・)
と、心の中で何度も繰り返しました。
そのためか、今日は最初から最後まで涙を浮かべながらの授業となり、私のその涙につられるように何人もの学生が涙を流していました。
そして、授業が終わり教授の研究室でお茶をいただいていると、「コンコン」と扉をノックする音が・・・。
教授が扉を開けると、そこには一人の男子学生がいて
「中村さんとちょっとお話させていただけますか?」と言っている声が聞こえてきました。
私が慌てて扉の方に向かっていくと
「今日はありがとうございました。」といったあと、真っ直ぐな目をして、ご自身の経験を話してくれました。
話の内容は書けませんが、
「大切な人との別れは、どんな人でもいつかは経験することであり、それは誰でも受け入れなくてはいけない現実なんだ・・・」と感じた私は、心の中で何度も何度も(大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・。)そうつぶやいてその学生を見送りました。
私にとって長野大学は、学生と心の交流をさせていただいた場所。
決して忘れることのできない大切な場所。
これまで授業を聴いてくれたすべての学生たちに、心から「ありがとう」とお伝えしたいです。
そして・・・
たくさんの経験と学びを与えてくださった教授に、言葉にならないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。