「渓太郎を苦しませたくない。

 

だけど、

 

失いたくない。」

 

 

 

 

「渓太郎を失いたくない。

 

だけど、

 

苦しませたくない。」

 

 

 

 

そう繰り返し叫ぶ私の目に写るのは、

 

ほっそりとした渓太郎の腕。

 

 

 

 

その腕を掴んだ瞬間、

 

ぽちゃぽちゃとした頃の記憶が蘇る・・・。

 

 

 

「渓ちゃんの腕、ぷにゅぷにゅしていて気持ちいい~!」

 

と言って、渓太郎の腕をギュッと握っていた自分。

 

 

すると私の指と指の間からは、

 

渓太郎の柔らかい肉が盛り上がる。

 

 

 

 

そんなことを思い出しながら

 

(今はもう・・・一本の棒のよう・・・。)

 

と思ったとき、心の奥から

 

(これが、渓太郎に与えてきた痛みと苦しみの量なんだ・・・。)

 

という声がこみ上げた。

 

 

 

 

すると、さらに大きくなるあの叫び。

 

 

 

 

「渓太郎を苦しませたくない。

 

だけど、

 

失いたくない。」

 

 

 

 

「渓太郎を失いたくない。

 

だけど、

 

苦しませたくない。」

 

 

 

 

 

そして、

 

どちらも選択できないまま、

 

(渓ちゃんごめん・・・。

 

どうしても一緒にいたい・・・)

 

と渓太郎に謝ったとき

 

やっと、本当の自分の気持ちが見えた気がした。

 

 

 

 

 

「渓太郎を苦しませたくない。

 

だけど、

 

一緒にいたい。

 

 

 

 

 

 

苦しみ

 

失う

 

痛み・・・

 

 

悲しみに包まれた言葉な中で見つけた

 

たった一つの温かい言葉。

 

 

 

 

「一緒にいたい。」

 

 

 

 

 

 

そのとき、

 

これが私の選択基準だと気がついた。

 

 

 

 

 

 

延命治療をするかしないかの選択をするときも、

 

新しい治療を提案された時も、

 

後遺症が残ったとしても治療するかと聞かれた時も・・・

 

すべてを包み込んでくれた唯一の言葉。

 

 

「一緒にいたい。」

 

 

 

 

 

 

 

なにかから逃れるための選択は

 

迷い続け、苦しみ続けるけれど、

 

願いを込めた選択は

 

どんな時でも揺るがない。

 

 

 

 

 

負けないため

 

失わないため

 

苦しまないため・・・

 

そんな基準の選択は、いつまでたっても幸せになれない。

 

 

 

 

大切なのは、

 

平和や愛、幸せ・・・

 

そのためになにを選ぶか・・・。

 

 

 

 

 

私たちの闘病生活は

 

がんに負けないために闘った時間ではなく、

 

幸せになるために過ごした時間。

 

 

 

平和を願って・・・。