私だったらできないかもしれない。」
渓太郎との闘病生活の話を聞いた人から
よく言われる言葉だ。
そして、話の最後はたいてい
「みゆきちゃんは、強いからできたんだよ。」
と、締めくくられる。
当時のことをほめてもらえるのは、
確かに、うれしい。
だけど・・・
私は自ら進んで
渓太郎との闘病生活を選んだわけではない。
病気だとわかった時も
ただただ困惑し、
絶望的な気持ちばかりが湧いてきた。
「私はこれから、どうしたらいいんだろう・・・。」
「渓太郎は、どうなってしまうんだろう・・・。」
だけど・・・
いくら迷っても
いくら絶望しても
もはや逃げることができない現実が
私に突きつけられていた。
【 我が子が小児ガンを発症。
母親である私は、今日から
24時間の付き添い看護生活を送ること。
そしてそれは、
看取ることになるであろう覚悟のもと、
その生活を送ること・・・ 】
退路がない
逃げられない
選択の余地もない
・・・やるしかなかった。
やるしかなくてやった結果、
私は・・・
強くなった。
そんな私のもとに昨日、
友人Aさんから一本の電話が入った。
「みゆきちゃん・・・ちょっといい?」
(・・・なにかあったんだな・・・)
声の調子から そう察した私の直感はあたり、
以前から抱えてる家族問題が悪化して
大変な状況に陥ってしまたという。
しばらく話を聴いているとAさんは、
胸の奥に詰まっていた言葉を吐き出しはじめた。
「わかっているんだ・・・。
自分の気持ちを正直に話せば、
すべてが変わることはわかってる・・・。」
しかし・・・
次に続いた言葉は、
「だけど・・・怖い。」
その言葉を聞いた瞬間、
渓太郎の病気が発覚した時のことがよみがえった。
私も怖かった・・・
だけど逃げられなかった・・・
強制された試練だったからこそ、
弱い自分でもやることができた・・・
当時の自分がよみがえった私は
Aさんにはっきりと言った。
「やったことがないから、
怖がっているだけでしょ!
変わりたいと思うならやって!」
すると、Aさんはハッとなにかに気がついた。
「そうだ・・・。
『怖いからやらない・・・やらないから変わらない』
これをずっと繰り返してきたんだ・・・。」
そう言うと、Aさんは
「怖いからできないかもしれない・・・。
だけど、変わらない方がもっと怖い・・・。
だから、やってみる。
やってみて、また電話する!」
と言って電話を切った。
人はそんなに強くない。
みずから進んで
怖い場所に踏み込むことは困難だ。
だけどそんな時、
ドン!と背中を押されるような強制があったら
最初の一歩を踏み出すことができる。
強いからできたのではなく
やったから強くなれた
当時の私のように・・・。