”[週刊女性プライム]「そもそも児相はいらない・・」”(不要とまでは思わないが『児相問題』2) | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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HER2タイプ乳癌のこと、治療のことなどを書き残しておこうと思います。温かい目で見守っていただければ、幸いです。アメンバー申請、コメント、メッセージ、リブログについては、「はじめに(私のスタンス)」テーマ内の記事をご一読下さい。

※7/28  テーマを「児相問題」に移動。

  まだ書くつもりのなかった「児相問題」
  を書かざるを得なくなったのは、
  5ch掲示板で、
  我が家が児相、警察に関わられたこと
  冤罪で為されたことについて、
  事実を知りもしないのに、
  中傷、名誉毀損書き込みを書き続ける
  人々がいたからです。
  今なお酷い中傷、名誉毀損書き込みを
  され続けていますが…。


私の児相・警察関連の記事に「いいね」
を下さり、その時の記事が⬆の記事
でした。

以下、私の経験も書かせていただきます。
全て『事実』です。

※我が家のケースを細かく書きすぎると
 『児相問題』
      (社会問題、行政法とその運用の問題)
  の本質がブレるので、
  『児相問題』から二次的に派生した問題は
  別記事に分けます。
    ⬇
  やはり、詳細を書かないと、なかなか
  ご理解いただけるように書けないので
  詳細に書きます。
  長すぎて投稿できなかったので
  2記事に分け、続きを投稿します。
     (2019/4/13 21:05
      2019/4/14 15:21
      社会問題であることが分かるよう太字
      にしました)

これらのことは、
まだ書くつもりはなかったのですが、
5ch掲示板での誹謗中傷が止まないし
開業医あきら から
詐病、虐待親とまでの誹謗中傷をされ、
さらに広められたので

ブログに一切書いていない
個人情報まで5ch掲示板に暴き晒された上で
(弁護士費用をかけて削除はしましたが)
事実と異なることを、
さらに広められるよりは

事実と、
死んでも死にきれない思いを
きちんと書くことにしたものです。


ー◆ー◆ー◆ー

 【児相問題】つづき

子供の精神状態を
    異常にする監禁

1ヶ月以上経って会えた時には
娘の表情や様子が別人のように
おかしくなっていました

一時保護前は、
学校もクラスには行けなかったけれど
登校し、
校長室で見て下さった校長先生も
相談室や保健室で見て下さった先生方も
音楽や絵や諸々見ても、問題なさそうだと
仰っていたし、

しつこいようですが、
クラスに行けずとも、学校には概ね行って
おり、学校を休んだ日にも、
塾には行っていたのです。

しかし、教育虐待や心理的虐待には
されていたかもしれません。

私の生活上の都合
  (労働時間は長かった、
  突発的に帰りが遅くなることもあった、
  自称暴力団宅の非行グループに接触して
  しまうリスクもある)
我が家にとっては、学歴云々よりも
教育環境、生活環境として、
中学受験、私立中学が大切、必須なのだ、
と、児童福祉司に話していたにも
関わらず。

娘の様子がおかしくなっていたのは、
虐待などではなく、
2ヶ月に及ぶ一時保護の方の問題で
あろうことは、
その後、娘は頑なに一時保護を拒否する
ことからも明らかだとは思います。

当時、②のマニュアル的な手法と合わせて
親に知らされることなく抗精神薬が勝手に
使われることもネットに出ており、

健康保険の通知で確認したところ
勝手に通院していたことが分かり
問い正し、全て開示してもらうよう
要求しましたが出てきませんでした。

※抗精神薬は使っていないと言っていましたが
  痛み止めを使った、というような説明は
  受けましたが、病院や薬にはナーバスな
  私は本当に😭😭😭💦

親はお金だけ払いなさい、
後は何も知らせません、
そういう親権侵害が児相担当の一存で
できてしまうわけです。

※小6なので、費用は全額公費負担でしたが。
  それは一時保護だから、というわけじゃなく
  全国的に?都だけ?昔は区によって違った
  かな?小中の医療費免除…。
  高校生だったら、親負担ですよね。


⑥私達からすれば、
    児相の不当拉致監禁

2ヶ月の不当、劣悪な一時保護の後
 (正確には2ヶ月を過ぎていました。
  おそらく、「一時預かり」と「一時保護」
  を目一杯使ったのだと思います)

ようやく、娘は帰って来ました。

「一時預かり」のはずが、

一時保護の様子など
何のフィードバックもありませんでした。

何をされていたか、
何一つ明らかにしてくれませんでした。

児童福祉司(当時の係長、非行児の扱いは
長かったそうです、一昨年は一時保護所に
異動していたらしい)に言われたのは、

娘が「相当わがままだね」
の一言だけでした。

強制力で①~④のようなことをされて
それについて何の説明もない相手からの
「指導」という名の人権・親権無視の
「強制」は受けたくないと、拒否して
拒否して、帰してもらいました。

だからその後も、延々と管轄署の扱いが
酷かったのかもしれませんが、
してもいない「虐待」を
認めても認めなくても
「虐待」にしかならないのです。

振り返れば、だから、
いつまでも管轄の警察署から
「虐待」扱いをされ続けたのでしょう。

私達にとっては、
強制力で拉致監禁され何の経緯説明も
されなかっただけですから

警察、児相の拉致監禁からも
娘を守らなければならなかったのです

父が来てくれて、
学校は児相への会議室貸出は断ってくれ
父が学校への送り迎えをしてくれました。

が、想像通り、
恐れていた自称暴力団宅の娘たち
非行グループ(パワーアップしていた)に
関わってしまい

娘は父を振り切って
近所の非行グループと遊ぶようになり、

児相から帰ってきてからは、
掌を返したような警察の扱いで、

父が送り迎えするのがいけないと
それも止められ、

  ※あの時も、
    父の送り迎えをやめなければよかった
    しかし、従わなければ
    強制力で送致、拉致監禁されるだけ
    ですから…。

今から振り返れば、
虐待通告?、送致を繰り返され
児相に迎えに行って

(その後は娘も、一度経験しているから
  頑として一時保護は拒否しているので
  一時保護されなかったけれど…)

※通告・送致すべきは自称暴力団宅の
   子たちだったと思いますが
   当時の少年係長(だったか係員だったか、
   生活安全だか保安だかの係長だったか)曰く
  「児相だって扱いやすい方を預かるでしょ」

しかし自宅管轄署少年係長は
1週間内に対策
(非行グループと遊び歩いてしまう)
を取れない限り、
施設送致(養護施設送致)すべき、と
児相に強硬に主張、

1週間で仮住まいのマンションを借りて
引っ越さざるを得なくなり、
引っ越しました。

それでも、非行グループと遊びに
行ってしまい、
大変なことになったのですが、

児相の相談支援部署や
仮住まい先の管轄署、自宅の近隣署
にはお世話になり

中学受験をし、
一貫校に入学し
自称暴力団宅の娘たちとは離れて、

一旦落ち着きました。

しかし、
放置していた乳癌の治療もあり、
自宅に戻りました。

その後の高校受験で管轄署に
また、虐待扱いされ、
壊滅的な自宅送致をされたことを
考えると、

本当に、もっと前に、
転居すべきだったかもしれません。
しかし、
全くの独りのシングルマザー、

大学までの教育費を考えると、
それも踏み切れませんでした。


⑦乳癌は放置

このような状況下で、しこりがぐんぐん
大きくなっていたのは分かっていたけれど

仕事も現場責任者として
何とかしなければならず、

仕事が一段落し、
娘も中学に通い出して何とかなったかな、
というところで

ようやく自分の乳癌をかえりみた時には
ステージ3Cに進行していました。

それは、娘のことに比べれば
私にとっては大きな問題じゃなく、

如何ともし難かったことなので、
それほど深く悩みも落ち込みも後悔も
していません。

もう少し早く病院に行っても、
児相から、さらに養育不能扱いにされて
「虐待」扱いされたままでは、
居場所すら知らされることなく
あのまま勝手に施設送致になっていたかも
しれないし。

死んでも許せない、
絶対許すことのできない
児童福祉司もどき、心理職もどき、
A児相、
自宅管轄署の当時の少年係長、

ですが、
勘違いしないでいただきたいのですが、

私は児相や警察全てを恨んでいる
わけではなく、

あの時の一時保護が許せない、

でも、
児相の相談支援部署(部署が違うようでは
あります)の、
 「私は隠したり騙したりしません。
    それで上手くいくことはありませんから。」
と仰っる児童福祉司さん
 (その道一筋、養護施設での勤務が
  長かったベテランの方です。
  児相の中での地位が高いわけではないと
  思いますが、プロのお仕事をされている
  方だと思います。)
のような方もいらっしゃり、

その方がいなければ中学受験は
成立しなかったでしょうし、

仮住まい先の管轄署の少年係長さんには
大変お世話になり、
足を向けて寝られません。

自宅近隣署(管轄署ではない、管轄署は、
自分のところは関係ないと、非行グループ
が悪さをしていても無関係。仮住まいの
管轄署の少年係長から、「110番すれば
動くから、110番しろ」と指導されました)
にもお世話になり、

自宅管轄署と、2ヶ月に及ぶ「虐待」扱い
親に隠して騙しての一時保護
あの児童福祉司もどきと、心理職もどき
全てを台無しにされた
2ヶ月に及ぶ劣悪な一時保護

(と、再度繰り返され、
 全てを破壊し尽くした
 自宅管轄署の、親に隠して騙しての
 100%冤罪の「虐待」扱い
 実家強制送致)

が許せないだけです。

本当に悔しい。
死んでも死にきれない思いです。

それだけ、あの時の中学受験は
大切であった。
学歴云々だけじゃないのです。


まとめ

虐待『冤罪』での
劣悪な2ヶ月にも及ぶ一時保護、

ギリギリ踏ん張っていた
母子家庭の生活基盤を
全て全て破壊しただけでした。

子供の教育環境、生活環境
精神状態、理性、善悪の判断

全て
不当な手段で破壊し尽くした、

それが、
「一時預かり」で預けてしまった
虐待「冤罪」の
劣悪な2ヶ月にも及ぶ一時保護

でした。

あの日の公園での出来事を
一生悔やんでも悔やみきれない

あの日から、笑える日は
まだ来ません。

私は虐待などしていない。ので、
どこにでも出て、全てを明らかにして
いただいても構わない。

密室でこそこそ捏造された
虐待冤罪の資料などでなく
家庭裁判所で、きちんと全て公開して
対面で親の話も聞き、
公明正大にハッキリさせればよい話

です。私にとっては。


児相の仕組みとして
公明正大な法も仕組みもない

まさに、人権侵害、親権侵害、
倫理上極めて問題のある
法制度だと、経験者として
痛感しています。

最後に、記載事項は、
全て、『事実』です。

ーーー

※『公僕』と書いたことについて 
  ネットストーカーFから批判記事を 
  発信されていますが 

  私は、公的金融機関の準公務員として 
  社会人生活をスタートし、 
『公僕』の心を持って仕事をしました。 

『公僕』、当たり前のことですが、 
  勘違いしている方々もいるので 
  敢えて、その用語で書いています。 

   公務員の私的個人に、
   自分の考え、感情で何でも勝手にして
   よい権限があるわけではなく、 
   公務員の「職務」遂行に必要な権限が 
   法の範囲で付与されているだけです。

   児相問題については、さらに法や、
   その運用に不足があり、

   そこまで育てた親の話など
   何も聞くことなく、冤罪で、
   専門家などとは言い難い担当者の
   感情、偏見、価値観で
   子と親の養育環境、生活環境、将来、
   人生全てを、
   きちんとした捜査や裁判の手続きも
   経ずに、
   破壊し尽くせる

   何の監視機構もない、

   そういう問題です。