母の状態 | ☆心優(みゆ)の脳脊髄液減少症と闘いの日々☆
母の異変に気づき母を説得して救急車に乗せました。
主治医が金曜日外来にいるので都合も良かったので。
検査をして主治医の説明を受けました。
三ヶ月頑張ったとお褒めの言葉をいただいてしまいました。
いつ容態が急変してもおかしくないと言われて最後は病院で看とる事にし、延命処置もしないことになりました。
家では食も細くなり食べれない事もあったのですが点滴の効果で夕飯のおかゆを一気に食べて父と目が点になりました。
いつもは、早く帰れと父に言う母が居ろと言い出し、次の日から私を病院に1日付き添いして欲しいから父に送り迎えしろと言い出しました。
次の日病室に行くと別の人が居て父とびっくりしてると、看護士さんが夜に息が苦しくなり酸素濃度も下がったので個室に移動しましたと言われました。
前日帰り間際に主治医が来たので腹水抜いて欲しいとお願いしてたので腹水を抜いているところでした。
550cc以上抜きました。
親戚も来てくれて賑やかでしたが、夕方酸素濃度を測ったら、鼻から酸素吸入してるのですが、80%しかなく、食事以外は、マスクになりました。
家では簡易トイレ使ってたのですが、支えないと歩けなく、息も苦しくなり、オムツになりました。
1ヶ月家で介護できてたのはすごいとケアマネにも言われました。
父が泣いてる事も多いので心配です。
周囲には、栃木県に帰って来てと、皆に言われてしまって困ってます。
母の最後を看とるまで兵庫県には帰れませんので薬だけ送ってもらっています。
両親に兵庫県に帰らないでと言われているので。
栃木県には、脳脊髄液減少症を治療する医師がいないので、困ってます。
母が1日でも楽に過ごせるように願っています。
悔いのないように母の面倒をみようと思ってます。