Dan 35とDan 16の調査 | 見よう見まねのブログ

見よう見まねのブログ

CameraやPCなど、見よう見まねの悪戦苦闘

ボルタ(Bolta)版カメラのDan 35シリーズは、タレント萩本欽一氏の父親、萩本団治氏の会社が戦後販売していたことで有名です。

今回それらカメラについて調べてみました。

 

■会社沿革

1945年 銀座にカメラ店をオープン。

1949年10月に従業員だった藤本克巳氏に店を譲渡し、「銀座カツミ堂写真機店」と改名し現在に至る。

 

製造は、長野県諏訪市のカメラ工場。後の、大和光機工業(YKK)と推察。

諏訪は「東洋のスイス」と称され、カメラや時計などの精密機器メーカが多く存在しました。

【注】ファスナーで有名なYKK(旧社名、吉田工業株式会社)とは別会社。

広告には価格が記載ありませんが、5,000円以下、3,000円程度だった模様。

 

広告に基づく商号変更の経緯

萩本本店     1946-05
萩本商店     1949-02
萩本商会     1948-09,1949-01〜12
ダン写真用品 1949-11〜1950-05

1950年に倒産。広告掲載終了時期と一致。

 

倒産原因は、35mm版カメラの販売に乗り遅れた為と推察。

当時の市場は米国が中心で、KodakはBolta版フィルムを販売しておらず、35mm版が必須。

Bolta版は国内市場だけで、次第に35mm版が主流となって行く。

 

■広告事例

Dan I型、II型、III型が併記。

Dan III型(上)、M型(下)。2型はIII型の誤記です。IV型の広告は今回未確認。

 

■発売年と製品系列

【Bolta版】レンズは全て40mm F3.5(3群3枚)で共通。

戦前、1938年発売のBoltax(宮川製作所)がベースの、

1948年 Dan 35I。24x24mm。Dan Anastigmat 40mm F3.5。Silver-B(B, 25,50,100)。上面にロゴがあり。

 

1948年 Dan 35II。同上。"Dan Camera Works"の表示とロゴが前面にあり。

 

1948年 Dan 35III。24x32mm(日本版)。上部に型名表示。Dan Anastigmat 40mm F3.5。Silver-B(B,25,50,100)。

 

1949年 Dan 35IV。24x30mm?。Dan 40mm Anastigmat F3.5。シャッター(B,5〜200)。今回、現物確認できず。

 

1950年 Dan 35M。24x30mm?。2モデルあり、

ロゴ無し、シャッターは、Buik-Model-I(T,B,25,50,100,150)、Dun Anastigmat 40mm F3.5。(Danでは無くDun)

ロゴ有り、シャッターは、NEW HIT(B,25,50,100)。Dan 40mm F3.5。

【注】

1949年発売のMinon 35(大和光機)にDan 35銘のものがあり。両社の関係性を示す。

但し、レンズはDanでは無く、Eria 40mm F3.5。下部にY,K.Camera Works(大和光機)。

東京光学のMinion 35と一字違いで紛らわしいですが、こちらはBolta版では無く、35mm版。

 

【16mm版】

1947年 Dan 16。16mm有穴フィルム使用、14x14mm。Thunder 30mm F6.3、Flea B,25,50,100。

少数生産に留まる。

 

【35mm版】


1950年頃 Super Dan 35

24x32mm(Nikon I、Minolta 35I、等と同じ、日本版)

Eria Anastigmat 40mm F3.5、Silver-C(B,25,50,100,200)

レンズはDanでは無く、上記Minon 35(大和光機)と同じ、Eria銘です。これも大和光機との関連性を裏付け。

会社倒産前に少数製造販売されたもの。

今回確認できた製造番号は、Body #3,102〜3,507、Lens #3,062〜3,304なので、約500台と推定。

 

【注】

Pax 35(1952年、大和光機)の初期型もSilver-C(B,25,50,100,200)使用。但し、レンズは"Majino 45mm F3.5"。

Super Dan 35のレンズは元々Bolta版24x24mm用なので、35mmフルサイズ(24x36mm)にはイージーサークルが不足する為。

"Majino"は、長野県諏訪市湖南南真志野、北真志野の地名に由来。工場が諏訪市真志野にあった証拠。

ミノルタも地元の六甲山に因み、"Rokkor"をレンズ銘にした。

 

Dan 35シリーズも最終機種はBolta版から35mm版に変更し、販売低迷からの脱却を目指すも頓挫。

戦後多くのカメラメーカが乱立しましたが、次第に技術力のある大手に集約されていきます。

 

ダン違い名前変えても消滅し