日本では、35mmフォーカルルレーン(FP)式レンジファインダー(RF)機は1950年代に隆盛を極めました。
しかし、1950年代の終わりから一眼レフ(SLR)に世代交代し、1960年代以降は新製品が数える程しか発売されていません。
■その中で、MInolta-35シリーズについて調査を進めることにします。
Minolta-35は余り高い評価を得ていませんが、そのひとつの理由として「有効基線長」の短さがあります。
「有効基線長」は「基線長」X「ファインダー倍率」で計算されます。
RF機で望遠や大口径レンズを使う場合、「有効基線長」が短いと焦点合わせの精度が低下します。
Minolta-35とNikonの比較は以下の通りです。最終機種IIBでもNikon Iに及ばず、S2やSPの約半分です。
Model(発売年) 基線長 x ファインダー倍率 = 有効基線長(mm)
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Minolta I(1947) 40 x 0.33 = 13mm
Minolta IC(1949頃) 40 x 0.7 = 28mm
Minolta II(1953) 40 x 0.7 = 28mm
Minolta IIB(1958) 40 x 0.8 = 32mm
Nikon I(1948) 60 x 0.6 = 36mm
Nikon M(1949) 60 x 0.6 = 36mm
Nikon S(1950) 60 x 0.6 = 36mm
Nikon S2(1954) 60 x 1.0 = 60mm
Nikon SP(1957) 60 x 1.0 = 60mm
■Minolta-35の発売歴史は以下です。
1947年05月 or 1948年03月、IA型。Nikon I同様、24x32mmサイズ。社名はCHIYODA -KOGAKU。
1949年頃、IC型。GHQ指示により、自動切断機に対応し、フィルム送りのみ36mmに拡大、社名がC.K.Sに変更。
1950年頃、ID型。吊耳がつき、巻き戻しレバーも新型に。
1951年11月、IE型。これ以降型名が表示。ファインダー倍率が0.7倍に。
1953年02月、II型前期。
1955年、II型後期。社名がC.K.S.からCHIYODA KOGAKUに戻った。
1958年05月、IIB型。最終機種。ようやく24 x 36mmになった。ファインダー倍率0.8倍。
従来のMinolta-35からminolta-35と小文字ロゴに変更。
1958年10月、Minolta初の一眼レフSR-2発売により、僅か1年ほどでIIBは製造中止。
■試作機
1954年発売のLeica M3に対抗すべく、NikonやCanonなどから新製品が発売されましたが、Minoltaは試作機のみです。
1957年、Sky。製造番号は100001。
1958年、35III。量産試作機でSkyの簡略版。IIBの後継機種となる筈だった。
■各社SLR発売
時代は既に一眼レフ(SLR)に移りつつあり、MinoltaもRF機からSLRに転換しました。以下は、各社SLRの発売時期です。
1952年、Asahiflex I
1954年、Asahiflex IIB
1955年、Mitanda T
1957年、Pentax AP、Topcon R
1958年、Pentax K、Minolta SR-2、Zunow
1959年、Canonflex、Pentax S2、Nikon F、Petri Penta
■FP式RF機の復活
1973年11月、IIBから15年の時を経てライツ社と共同開発のLeitz-minolta CL発売。
1981年02月、AE化されたCLE発売。これがMinoltaのFP式RF機の最終機種。
ライカの後を追い、ついには共同開発までしたMinoltaのFP式RF機も時代の流れには勝てず、消え去りました。
Minoltaは2003年8月にKonicaと経営統合するも、2006年03月にカメラ、フィルム事業から撤退。
歴史ある2社(Minolta、Konica)は消え去りましたが、遺産は受け継がれています。
★カメラはSonyに継承され、αの名前は今も残る。
★保守サービスはケンコー・トキナーへ移管。MinoltaとKonicaのカメラ歴史HPも存続しています。
https://www.kenko-tokina.co.jp/konicaminolta/history/
次回からは、各モデルの詳細調査結果をまとめます。
背伸びしてライカの背中尚遠し