第二次世界大戦の終了に伴い、戦後賠償の一環でLecaの特許が無効になったことから、雨後の竹の子のように沢山のLecia型カメラが生産されました。これらはLeica Copy機と称されています。
戦後、1950年発売のRicohflex IIIの大ヒットで、二眼レフメーカ(いわゆる、四畳半メーカを含め)が乱立し、アルファベットのAからZまで殆どの名前が揃った時期がありました。このブームも短期間に消滅しました。
今でも二眼レフを作り続けているのはRolleiです。1929年発売のRolleflex Originalから86年経過し、現行モデルはRolleiflex 2.8FX-Nです。
どうも日本人は継続性に欠け、ブームに相乗りする国民性がありますね。
1957年に評論家の大家壮一が「一億総白痴化」と低俗なTV番組を批判しました。
戦中には「一億玉砕」と勇ましく、敗戦後には手のひらを返し「一億総懺悔」と日本人は一斉に同じ行動するのが、外国から見れば没個性的、全体主義的で奇妙に映るようです。
これは良くも悪くも教育制度に起因しています。外国のように個性を重視するのでは無く、皆がが同じよう考え、行動するのが良しとされてきました。その結果発想も類型的で、独創的なアイデアを生み出すのは苦手ですが、真似て応用するのは大変上手です。
「ドイツ人が発明し、アメリカ人が製品化し、日本人が商品化する」
戦後の家電製品、電子機器、カメラなどがいい事例でしょう。
現在は「中国人がパクり」、低価格で市場を席捲しています。
カメラの分野でも、Leica IIIaが「上海58」、Lecia M4が「紅旗20」、安原一式が「Phenix JG50」、といった具合にコピーが多いです。
AppleのiPADが発売された途端、?-PADの登録商標をA~Zまで済ませ、中華PADが市場に溢れました。
東京スカイツリー、くれよんしんちゃん、讃岐うどん、有田焼、青森など日本地名も登録商標とか。
新幹線も米国スティルス戦闘機もパクリですが、品質は遠く及ばなかった模様です。
閑話休題。
日本では1950年代に多くのLeica Copy機が製造され、米国などにも輸出され外貨獲得に貢献しました。
然し乍ら、その繁栄は長続きせず、35mm Focal Plane(FP)式Range Finder(RF)機は1960年には殆ど消滅してしまいました。まさに、1950年代の徒花(あだばな)ですね。
日本製35mm FP式RFの最終機種はCanon 7Sで1965年発売です。隆盛を誇った日欧の35mm RF機は、あえなく1960年代に一眼レフ(SLR)により淘汰、駆逐されてしまいました。
Minoltaは渾身のLeica M3対抗機Skyを1957年に開発しましたが、発売を断念し、代わりにSLRのSR-2を発売しました。Skyについては、2005年4月の日本カメラ博物館特別展で展示されたり、雑誌の表紙を飾っています。
Nikon Fも開発の母体はSPで、一部部品も共通。デザインも上部はそっくりです。
勃興期の主なSLRの発売年です。
1955年 Miranda T(ペンタプリズム)
1957年 Pentax(クイックリターンミラー), Topcon R
1958年 Zunow, Minolta SR-2
1959年 Nikon F, Canonflex, Petri Penta
1960年 Konica F
1961年 Mamiya Prismat NP
その後、大半の会社がカメラ事業から撤退し、SLRの最終製品は2004年発売のNikon F6です。デジタルSLRとして生き残っているのはNikon、Canon、Ricoh(Pentax)など数える程です。
Leica Copy機については資料も乏しく、正確ではありませんが、概要は以下です。
但し、Nikon、Canonは除く(前回記事参照)。
生産台数が1万台を越えるのは、Minolta(8万台)、Nicca(6万台)、Leotax(3万台)の3社だけです。
*:少数
メーカ/型名 製造期間 台数 #製造番号
---------------------------------------
Chiyoca
35 Satndard 1951-1952 *
35 IF 1952-1953 *
IIF 1953 *
Chiyotax
IIF 1954 *
IIIF 1954 *
Honor
S1 Type I 1956-1956 300
S1 Type II 1957-1959 900 #70,001-70,9xx
S1 Type III 1957-1959 *
SL 1959-1960 500 #90,000-90,xxx
Ichicon
35 1954 *
Leotax
Original 1939-1939 50
Special A 1942 *
Special B 1942 *
Special 1946-1947 600 #2,6xx-3,2xx
Special DII 1947-1948 300 #3,4xx-3,6xx
Special DIII 1947-1949 1,000 #3,7xx-6,xxx
NR III 1949 50
D IV 1950-1952 2,500 #11,xxx-15,xxx
S 1952-1954 600 #29,xxx-29,xxx
F 1954-1957 5,000 #540,xxx-552,000, #250,000-
T 1955-1958 5,000 #546,xxx-555,xxx, #25x,xxx-
K 1955-1958 4,000 #56,xxx-58,xxx, #25,xxx-
TV 1957-1959 3,000 #570,xxx-574,xxx
T2 1958-1958 1,000 #55x,xxx-55x,xxx
K3 1958-1958 1,000 #33x,xxx-33x,xxx
FV 1958-1959 2,000 #802,xxx-804,xxx
TV2(Merit) 1958-1961 1,000 #30x,xxx-
T2L(Elite) 1959-1961 3,000 #31x,xxx-314,xxx
Elite S2 1960 *
G 1961 500
Melcon
Original 1955-1956 1,500 #55,001-56,xxx
II 1957 *
Minolta
35I original 1947-1948 600 #101-3,xxx
35I Model B 1947-1948 2,400 #101-3,xxx
35I Model C 1948-1949 4,000 #4,xxx-9,xxx
35I Model D 1948-1948 *
35I Model E 1951-1952 3,000 #15,001-17,xxx
35I Model F 1952-1953 3,000 #20,xxx-23,xxx
35II 1953-1958 20,000 #35,xxx-84,xxx
35IIB 1958 *
CL 1973-1976 20,000
CLE 1981-1984 31,600
Motoca
35 1949 *
Nicca
Original 1948-1949 200 #23,xxx-27,2xx
3 1949-1954 3,500 #23,4xx-27,xxx
IIIA 1951-1952 4,000 #27,xxx-40,xxx
IIIB 1951-1952 3,000 #27,xxx-40,xxx
IIIS 1952-1954 8,000 #50,xxx-59,xxx
3S 1954-1956 10,000 #59,xxx-69,xxx
4 1954-1955 1,000 #80,xxx-80,xxx
5 1955-1956 3,500 #126,xxx-129,xxx
5L(lever式) 1957 *
3F(nob式) 1956-1957 3,000 #85,xxx-97,xxx
3F(lever式) 1957 15,000
33(lever式) 1958 1,000
IIIL(lever式) 1958-1959 2,000
Tanack
IIC 1953-1954 1,000 #28,001-28,4xx, #54xxx-54xxx
IIIF 1954 1,000 #27,8xx-28,8xx
IIIS 1954-1955 200 #67,9xx-68,1xx
IVS 1955-1958 5,000 #72,1xx-77,5xx
SD 1957 400
V3 1958-1959 1,000 #10,2xx-10,3xx
VP 1960 *
Yashica
YE 1959-1960 3,000
YF 1959-1960 7,000
ライカコピー機も一眼レフも、今はデジカメに駆逐され絶滅機種です。
動植物なら遺伝子(DNA)を保存し、将来復活の可能性がありますが、銀塩カメラはNikon SPの2005年発売を最後に、今後復刻されることは望み薄ですね。伝統工芸同様、後継者も無く、製造技術は失われました。
カメラの組み立て風景も、昔は独のマイスターが1台ずつ調整しながら組み立てて、高度成長時代の日本では女工さんたちが大勢並んで器用な手先で一斉に組み立て、今やユニット化されたパーツをロボットが24時間無休で超高速で組み立てて行く、という具合に変わりました。
雷華似の花の命は短くて
雷華よりスカイエスピーひと目惚れ
いちがんとなって世界を駆け抜けた
デジタルに押されアナログ今何処
夏草や銀塩カメラ夢の跡