やがて歳三が、街道の先へ目をやった。
「そろそろ行かねえとな。遅れるぞ」
「はい」
お琴も頷く。
名残を惜しむような言葉は、どちらも口にしなかった。
「では……歳三さま」
「ああ」
「お気をつけて」
「お前もな」
二人は、静かに会釈を交わした。
そして――
歳三は江戸へ。
お琴は日野へ。
それぞれ、反対の方角へ歩き始めた。
朝の甲州街道に、二人の足音が遠ざかってゆく。
お琴は三味線を抱えたまま歩いた。
十歩ほど進んだところで――
ふと、その足が止まる。
どうしてなのか、自分でも分からなかった。
ただ、もう一度だけ。
そう思って、お琴は振り返った。
その時。
少し離れた街道の向こうで――
歳三もまた、立ち止まっていた。
振り返っている。
目が合った。
二人とも、少し驚いたような顔をした。
お琴の頬に、微かな笑みが浮かぶ。
歳三も何も言わず、ほんのわずかに口元を緩めた。
それだけだった。
呼び戻すこともない。
駆け寄ることもない。
やがて、お琴が小さく頭を下げる。
歳三も応えるように、わずかに顎を引いた。
そして今度こそ――
二人は、それぞれの道へ歩き出した。
朝の風が、甲州街道を吹き抜けてゆく。
江戸へ向かう背中と。
日野へ向かう背中。
その距離は、少しずつ遠ざかっていった。
けれど。
ほんのひととき重なった道の余韻だけは――
二人の胸の内に、しばらく残っていた。