パリ・オペラ座の前にしばらく佇み、ジョーはフランソワーズへの想いを馳せていた。
荘厳で美しい、ガルニエ宮…オペラ座の佇まいを目の当たりにして、この様な素晴らしい場所の舞台に立つフランソワーズが、どれほど優れたバレリーナだと言うことを、ジョーはあらためて思い知られた。
しばらくオペラ座の前に佇んだ後、ジョーはホテルに戻ろうと歩き出した。
そして、オペラ通りに差し掛かる交差点で信号待ちしていた時だった。
向こう側の歩道を、見覚えのある若い女性が通り過ぎろうとした瞬間、ジョーは驚きのあまり、声を失いそうになった。
そう…。その若い女性こそ、フランソワーズだった。
「 フランソワーズ…!」
思わず、ジョーは声を出してしまった。
その声は車の走る音に掻き消されてしまう。
そしてジョーは、フランソワーズの隣を歩いていた男性の姿に気づくと再び声を失いそうになった。
ジョーの目には、男性と笑い合うフランソワーズがとても幸せそうに映った。
その男性が一体何者なのか、ジョーには分からなかった。
親しげに歩いているところを見た時、多分きっと親しい間柄なのだと、ジョーは思った。
そして、次第に複雑な気持ちになるのをジョーは悟る。
彼の知らないフランソワーズがそこに居る…。
何年も会わないうちに、何もかも変わってしまったのだと、そうジョーは改めて思い知らされ、もう少し早く会いに来なかったことを悔やんだ。
しかし、その反面、フランソワーズの幸せそうな姿を見た時、自分は果たしてフランソワーズの前に姿を現していいのだろうか…と、ジョーは思い、迷った。
けれども、フランソワーズに会って話がしたいという気持ちは変わらなかった。
それほど、ジョーのフランソワーズへの想いは強かったのだ。
結局、目の前を通り過ぎていくフランソワーズを
ただ見守ることしか出来なかったジョーは、気を取り直すと、再び歩き出した。
オペラ通りを抜け、ホテルへと向かって行った。
その胸にフランソワーズへの想いを残しながら…。
ジョーとフランソワーズのそれぞれの想いを残し、遂にジゼルの公演初日を迎えた。
開演前のパリ・オペラ座は大勢の観客で賑わっている。
開演は昼過ぎからだったが、早朝から当日券を買い求める客が並んでいる。
大勢の観客達の中にジョーの姿もあった。
オペラ座の入口から中に入った時、ジョーは建物内の豪華さに圧倒されそうだった。
大ホールを出ると、有名な大階段に出る。
照明の美しさも然る事乍ら、大理石で造られた大階段の美しさも素晴らしかった。
大階段を見上げながら、ジョーは思わずその煌びやかな美しさに息を呑んだ。
その大階段をジョーはゆっくり上り、グランホワイエへと向かって行った。
グランホワイエには開幕を心待ちにしている大勢の客達が思い思いに過ごしていた。
ジョーはそこに設置されているバーに立ち寄ると、
シャンパンを注文し、ゆっくりと飲み始めた。
間もなく開幕されるジゼルの公演。
少しジョーは心が落ち着かなかった。それが何故だか、自分でも分からなかった。
昂る気持ちを落ち着かせようと、ジョーは残りのシャンパンを一気に飲み干した。
そんな時だった。
「 おい、ジョー!お前にしては珍しくシャンパンを飲んでいるのか?」
不意にそう後ろから話しかけられ、ジョーは思わず声のする方を振り向いた。
「 ジェット…!」
そこに立っていたのはジェットだった。
彼はニヤッと笑いながらジョーを見据えている。
「 ジェット、君も来ていたのか…。」
ジョーは少し驚いた様子でジェットの顔を見つめた。
「 お前には黙っいたが、なあに、俺もフランソワーズの舞台を観たかったからな。
それより、ジョー。俺の思い過ごしかも知れないが、お前…少し落ち着かない様子だな?
久しぶりにフランソワーズの姿を見ることが出来るから、気持ちが昂っているのか?」
「 ジェット…。」
今の自分が何故落ち着かないのか、ジェットに言われるまでは自分でも分からなかったが、彼にいい宛てられ、漸くジョーは落ち着かない理由に気づいたのだ。
確かにジェットの言う通りだったが、それだけではないことも自分でわかっていたのだ。
昨夜、目の前を通り過ぎていくフランソワーズの姿を見てからというもの、ジョーの心は大きく揺れ動いていたのだ。
増してや今日、舞台の上で美しく舞うであろう、フランソワーズの姿を観る事が出来るのだと思うと、
余計に気持ちが落ち着かなかったのだ。
そして、昨夜、フランソワーズの隣を歩いて居た見知らぬ男性の存在も気になっていたのだ。
もしかしたら、あの男性はフランソワーズの相手役では…?
そんな思いがジョーの胸の中に渦巻いていた。
「 実はジェット。昨夜、オペラ座の前で、フランソワーズを見かけたんだよ。
交差点を挟んだ向こう側の歩道で、彼女は男性と一緒に歩いていた…。」
ジョーは少し戸惑いながら、昨夜の事をジェットに話した。
それを聞いたジェットはあまり驚いた様子もなく、こう答えた。
「 もしかしたら、その男って言うのは、多分きっとフランソワーズの相手役かもな。はっきりとしたことは言えないが…。
まあ…フランソワーズは今や、パリ・オペラ座バレエのエトワール…一流のバレリーナだ。相手役の男とパートナー以上の関係になってもおかしくはない。それに器量も良いから、浮いた話の一つや二つあってもおかしくはないだろうよ。」
ジェットは少し皮肉っぽい笑みを浮かべながらジョーの顔を見つめた。
「 まあ…これはあくまでも憶測だけどな。
フランソワーズに直接会って確かめないとわからんが…。
とにかくだ。誰かにとられる前に、手を打たないと、後悔することになるぜ、ジョー。」
ふふふ…とジェットは笑い、更に言葉を続けた。
「 て言うか…お前がさっさと動かねえと、この俺が
フランソワーズに…。」
そう言い終わらぬうちに、ジェットは口を噤む。
ジェットのその言葉に、ジョーはハッとし、驚いた様子でジェットの顔を覗き込むように見た。
「 ジェット…。まさか、君もフランソワーズの事を…?」
詰め寄る様な眼差しで見つめるジョーに、ジェットは苦笑いを浮かべた。
そして大きく嘆息をついた。
「 ふふふ…。野暮なことを聞くんじゃねえよ、ジョー。確かに、お前の思っている通りだが、お前たちが互いに惹かれ合って、思い合ってる事に気づいた時に、俺は諦めたよ。到底、俺の入る隙間なんてなかったと思ったからな…。」
ジェットのフランソワーズに対する気持ちを初めて知り、ジョーは返す言葉を失った。
口でははっきりと言わなかったが、ジェットもまた、フランソワーズに惹かれていたのだと…。
「 まあ…とにかくだ。俺はフランソワーズさえ幸せになってくれればそれで良いんだよ。
だから…ジョー、何があってもフランソワーズを幸せにすることだな。」
少し寂しげにジェットは笑った。
ジョーはそう言われたものの、昨夜の出来事がどうしても心に引っかかっており、戸惑った。
久しぶりに見かけたフランソワーズは、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
その笑顔がどうしてもジョーの頭から離れず、暫く彼は黙り込んでしまった。
ジェットはそんなジョーの気持ちを読み、苦笑いを浮かべながら嘆息を吐いた。
「 フランソワーズが一緒に居た男の事が気になるのは分かる。きっとフランソワーズは幸せそうに笑っていたんだろうな。
けどな、ジョー。俺はフランソワーズは今でもお前の事を忘れてないと…お前への気持ちは変わらないと思うぜ…!
とにかくだ。フランソワーズに会って彼女の気持ちを確かめるんだな。それと、お前の彼女への気持ちもちゃんと伝えろ。」
ジェットにそう言われ、ジョーは戸惑いながらも頷いてみせた。
そして少しづつではあったが、ジョーの心の中からは迷いが消えていった。
「 もうすぐ開幕時間だな…。フランソワーズの舞う姿は、さぞかし綺麗だろう…。」
ジェットはそうぽつりと呟くように言った。
「 ああ…!そうだろうな。」
そう答えるジョーは、これから舞台の上に立とうとしているフランソワーズへ想いを馳せた…。
続く…






