息子のお墓に缶コーヒーが供えられているのを見たのは、たしか初盆の頃だったと思う。暑い日の墓参りのときだった。以来、ときどき、同じように置いてくれているのを見た。
誰がお供えしてくれているかは、なんとなく見当がついていた。
次また供えてくれてあるのを見たら、今度こそお礼の電話をしようと思うんだけど、結局いつもできなかった。
何を話したらいいか分からないし、たぶん向こうも親と話したいわけじゃないと思う。
初めの数年は、お盆やお彼岸、命日のあたりで缶コーヒーが供えられていたけど、だんだん頻度が低くなって、最後に見たのは3年前くらいかな。
これでいい、みんなも私たち家族もこれでいいんだと思う。
亡くなって10年。来年も私は、きっと同じように思うだろう。
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