昨日の夕食はコープで取り寄せたぼてじゅう総本家焼きそばをヘルパーさんに玉子をとじて焼いて貰い,団子汁とで済ませました。また,デザートはリンゴとサクランボでした。
焼きそばはボリュームがあり,これだけで満腹になります。なお,午前中に作って貰って,夕方レンジで温めて食べるので,味の方は自分で焼いた方が美味しいです。また,サクランボは美味しく,次回もコープで買おう。
昨夜は午前0時半前に精神安定剤と軽い睡眠薬の服用をして1時前に消灯しました。そして,寝付きは非常に良くていつ眠りに落ちたか記憶がありません。そして,仕事の夢を観ながら8時過ぎに目を覚まし,その後,ウトウトと眠り10時過ぎに起床しました。
スマートウオッチでの睡眠の質の評価は”非常に良い”であり,睡眠時間は8時間4分でした。深い眠り時間が2時間あったので,評価が良いのでしょう。
起床後の血圧は127-71mmHgと普通で,体重は前日より+0kgの68.2kgでした。体重が前日と変わらないのは,除水量が少なかったからです。
定年後~60歳からの「黄金の15年」をどう生きるか
「いつかは,その日が来る」。それはだれもがわかっているが,近づかないとピンとこない。いつまでも「この仕事」が続くかのように感じていても,それは,いずれ終わる。60歳が定年だとすると,家族の扶養義務からも解放されて,かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。それを「黄金の15年」にできるなら,人生の締めくくりとして素晴らしい。
では,その15年をどのように生きるか。また,その時が来てから慌てないために,いつから,どんな備えをすればいいか。
まもなく80歳を向かえる私の生き方も,一つの生き方であるが,黄金の15年ではなかった。
56歳で早期退職した私は,自分だけの力で仕事が出来る委託社員という形で元の会社に雇って貰った。
現役時代は職責も重く,仕事人間だったが,早期退職をして体調や趣味に合わせた仕事が出来たので,経済的(収入が半分程度に減る)に許すなら委託社員は気楽です。
そして,60歳になっても定年は無かったが,ソフトランディングをして徐々に趣味の時間を増やして,64歳で仕事を辞めました。
私が仕事よりも趣味に走ったのは,60歳前から始めた野鳥撮影であり,仕事よりも趣味に填り込んだ。
そして,69歳まで日々野鳥撮影で日本国内を遠征をした。
しかし,69歳で人生の一大転機が訪れた。
それは妻がすい臓ガンで,たった3ヶ月で亡くなったことです。
それまで,妻に頼り切って生きてきた私は,何も出来ないのに1人暮らしに追いやられたのです。
そこで,妻の物真似で生活を始めたのですが,めっきり野鳥撮影の頻度も減り,腎不全のために食事制限が厳しかった。
妻は私のために減塩,タンパク制限など腎不全の悪化を抑えてくれましたが,私は誘惑に負けて普通食を食べるようになり腎不全末期を迎え74歳で人工透析を行うようになりました。
人工透析を始めると,遠征の野鳥撮影も出来なくなり,益々野鳥撮影が減りました。
また,75歳を超えると,急激に体力が無くなり,78歳の私は下半身の弱りから,杖を突いてのヨタヨタ歩きになってしまいました。
一般的に75歳は後期高齢者となり,健康寿命も過ぎるので,それまでのように自由に動けなくなります。
従って,黄金の15年を如何に生きるかなのです。
私の場合,妻の死がなければ,人工透析にもなっておらず,趣味に生きて,正に黄金の15年でしたでしょう。
今日も11:40の迎車を受けてデイケアに出掛けました。
じっくり眠ったつもりでしたが,体調は余り良くなく自転車2種各10分,足蹴り・脚上げ各3分及び平行棒歩きを90%の力で行い,へばり汗が出ました。また,背中痛はいつもの女性理学療法士に筋肉を解して貰いましたが,残念ながら効果がありませんでした。
マッサージの途中で色んな話をして,気分転換が図れました。
13時過ぎに帰宅して,眠いので30分ほど昼寝をして,15時を過ぎたので遊歩道の散歩に出掛けました。
気温は31℃越えでしたが,曇り空で風も少しあったので,暑さはマシでした。
そして,歩き始めは背中が痛かったのですが,筋肉が解れてきたのかマシになり,脚は相変わらず頼りがないのですが,久しぶりに息切れも少なく歩けました。
でも,いつもの距離を歩く体力がなかったので,今日も2/3の距離を4回の座り込んでの休憩で歩きました。
スマホによる今日の歩数は4876歩,距離は2.7kmで,歩速は3.9km/hとなっていました。
また,スマートウオッチのGPSによる散歩距離は測定ミスで判りません。
今日の花はポテンティラ・フルティコサです。