昨日の夕食は玉子かけご飯が急に食べたくなり,生卵,前日のタケノコとワカメの煮物,ひじきの煮物,わさびわめ,柴漬けで済ませました。また,デザートはデコポンでした。

 久しぶりの玉子かけご飯美味しかった。調理は全くしない夕食でした。

 

 昨夜は午前1時過ぎに精神安定剤と軽い睡眠薬の服用をして,1時半前に消灯しましたが,寝付きは良かった。しかし,浅い眠りで海外出張に行っている嫌な夢を観ており,顎がガクガクして2時前に目覚めました。

 顎が治らないのでイライラ防止用の薬も服用して2時過ぎに眠りました。そして,この日も7時前に目を覚まし,眠たいのに再び寝付けずに起床してしまった。


 スマートウオッチでの睡眠の質の評価は”普通”であり,睡眠時間は4時間27分でした。この日も途中覚醒で,その後寝付けずにイライラしています。変な癖になってしまって困っています。


 起床後の血圧は135-72mmHgと普通で,体重は前日より+0.8kg68.5kgでした。

 昨日も仇敵巨人阪神が逆転負けして1:2と2連敗です。

 開幕当初は最下位であった阪神がいつの間にか首位になっていましたが,2位の巨人が追いかけています。

 私にとって阪神が負けると一番腹が立つのが仇敵の巨人なのです。

 仇敵とは宿敵ではなく,「恨みや憎しみをいだいている相手。かたき。」を現しており,巨人・大鵬・卵焼きの時代から嫌いなのです。

 昨年は阪神のお得意さんだったので,憂さ晴らしできたのですが今年は仇敵です。
 今日は辛うじて4:2で阪神が勝ち,被害を最小限に抑えました。

 昨日はデイケアでした。

 デイケアでは要支援や要介護に認定された人が通うリハビリセンターです。

 通所者は殆どが婆さんであり,昨日の爺さんは私を入れて2名でした。

 デイケアでは車椅子で通所する人は少なく,私より元気と思われる人が居ますが,何人1人暮らしなのでしょう。即ち自宅で家族から介護を受けられない人です。

 圧倒的に爺さんが少ないのは,もう死んでいるからか,奥さんから介護を受けているのでしょう。

 一方,婆さん1人暮らしが多いのでしょうか。


 昨日の送車は85歳の爺さんと一緒でした。その爺さんは私より元気で,1人暮らしとのことですが,隣に子供が住んでおり生活援助があるそうです。

 送車は先ずその爺さんを下ろして,私が仇敵だと思っている医師がいる診療所の前を通るので,妻のことを思い出してしまうのです。

 私が診療所の医師を仇敵と呼ぶにはそれなりの理由があります。

 2014年12月18日血液検査の結果ですい臓ガンの腫瘍マーカーが出ていたので,家内は19日に何とか済生会病院に歩いていき腹部CT検査を行ってきましたが,20日からは殆ど寝込んでいます。

 買い物や食事の後片付けは私が行っており,家内からは症状が悪くなってきたことに対して私に「すみません。」と謝るのです。私は今まで料理などしたことが無く,家内はしんどそうに食事の準備だけしてくれるのです。

 そして,家内自身は何も悪くないのに,私に家事をさせることに対しての謝りなのです。


 苦痛に耐えるその姿を見ていると非常に哀れなのです。気の毒で,可愛そうです

 黄だん症状も出てきたようです。結婚以来40年(来年1月で丸40年)の間に家内の泣き言を聞いたことがありません。

 自分からは「入院したい。」とは言わないのは,私が一人では何もできないことを知っているからなのです。

 そこで,見かねた私は家内に「症状がだんだん悪くなってきているし,このまま家に居ては治らないので入院するか?」と聞くと「うん。」と答えてくれました。相当に辛いのでしょう。

 

 そして,12月22日の”気まぐれ日記”には以下の1日が鮮明に記録されていました。
 【昨夜から,家内をどのような方法で入院させようかと悩んでおり,睡眠導入剤を2錠飲んでも寝付けません。現役時代から,”この場合はどうする。あの時はこうだから今回は”等を徹底的に考えて結論を出していました。


 技術屋はいろんな局面を想定して設計しなければならないのです。徹底的に考える習慣がついており,家内の病気のことを必死に考えるのですが答えは残酷な結果に終わるのです。

 医師ではないのにネガティブシンキングに陥るので胃が痛くなってきました。

 寝付いたのは午前1時を過ぎていましたが午前6時過ぎに2回目のトイレに行き目が覚めて,また考えました。


 7時半に家内が起床して来たので体調を聞くと,歩く体力が無くなっているので私が近所の診療所に行き入院の紹介状を書いてもらおうと考えました。

 9時10分前に診療所に行くと,既に5人の患者さんが診察を待っていました。

 私は受付に「**の夫ですが,家内の体調が悪くなり悪くなり歩くのも辛くなった。至急に入院のための紹介状を書いて欲しいのですが。」とお願いすると,診察時間前の医師が姿を見せて私が持参した腹部CT画像Tを見て「大きな腫瘍が出来ていますね。手術で取り出せるかどうか判りませんね。」と言いました。

 私は何を今頃と思いながら最悪の結果を聞かされたので念のため「重症ですか?」と聞くと医師は「はい。」と答えました。

 

 私は「このままでは腹部が痛くて食事もできず体力が無くなって来ている。即刻入院させたいので総合医療センターへの入院紹介状を書いて欲しい。」と言うと,医師は「医療センターは入院患者を直ぐに受け入れてくれませんよ。済生会病院なら何とかなりそうですが。」との返事です。

 しかし,私は大きな「医療センターに入院させたい。」とお願いすると,「電話で打診してみるので自宅で待ってください。」と言われました。

 9時過ぎに自宅に帰り医師からの電話を待ちます。10時になり,10時半になり10時45分になったので我慢できなくなり診療所に電話を入れました。

 すると,医師からは「2~3回電話をしているのですが空きベッドが無いと言われています。」との返事です。ホンマかいな?

 私は医師に「医療センターの**科部長は親戚なので話をしてみましょうか。」と話すと,その医師は「**部長は私も知っています。」,「もう一度病院に電話するのでもう少し待ってください。」とのことでした。

 そして,11:20に医師から電話が入り「ベッドを確保できました。紹介状を書いたので直ぐに取りに来てください。」と言われました。
 そこで私は早速診療所に行き紹介状と腹部CT画像を受け取って支払いもせずに自宅に帰りました。

 家内をタクシーに乗せて12:10総合医療センターの総合受付に行くと話が全て通っていて直ぐに救急診察室に案内されました。

 診察室には医師が待ち構えており,私が持参したCT画像や血液検査データを見たのちに色んな検査が始まりました。

 流石に救命救急センターであり造影剤を使用したCT造影など直ぐに行ってくれます。

 検査中に救命の待合で待っているとかなり頻繁に救急車が到着して処理室に運ばれていきます。

 付き添いの人が私の隣の椅子に”不安げな暗い顔”で座るので,私の不安感が益々増大します。胃が痛い!


 家内は全ての検査が終わったようで,検査結果が出るまで観察室のベッドで待ちます。

 あっ!このベッドは私が4月末に救急搬送されて暫く寝かされていたベッドだったのです。(あまり関係ないが。)

 14時半過ぎに,この間に私は何か食べないとと考え喫茶室でサンドイッチとコーヒで昼食です。ここでの,一人での昼食は侘しいです。
 観察室に戻り待っていると,救命医から「入院です。」と言われ,15時半ごろに病室の看護師が迎えに来てくれました。

 病室で家内と喋っていると,又もや家内のレントゲン撮影を行うとのことで看護師が車椅子で連れて行きました。

 それと同時位に救命医が来られて病状説明を行うとのことです。

 談話室で血液検査の結果(早すぎて私には理解できない)と造影剤CT画像を見せて「膵臓に大きな腫瘍があり,これが胆管を圧迫しているので黄だんや腹痛が出ています。その処理方法は部長から説明があります。」と厳しい結論を言われました。

 私は救命医に「この結果は家内に言うべきでしょうか?」と聞くと,「それも部長が話をします。」とのことでした。


 17時過ぎに消化器内科の部長(女性)との面談があり,私と家内が呼ばれました。
 開口一番で部長は家内に「すべての検査結果を聞き入れる覚悟はありますか?」との質問です。

 家内は薄々”膵臓がん”だと自覚している様子なので,「はい」と答えました。

 その部長ははきはきした方のようで,検査結果を全て説明してくれました。


 「膵臓に大きな腫瘍が出来て腫れており,胆汁を腹部に流すための胆管が圧迫しているので黄だんが出ています。」,「黄だんが出ているので,膵臓の治療や手術が出来ないので内視鏡手術で胆汁を流すためのストロー状のチューブを入れます。」,「但し膵臓が大きく腫れているので十二指腸までストローを入れることができるかやってみなければわからない。」,「それがだめであれば内視鏡手術を諦めて23日以降に背中から穴をあけてチューブで胆汁を流すことにする。」,「内視鏡手術で膵臓の一部を切り出し培養検査を行い悪性腫瘍か調べる。」,「内視鏡手術は局部麻酔で行い1時間程度で終わるが,チューブが入れられないと判断した場合は30分程度で終わります。」と細かく説明して貰いました。

 私は理解速度が遅いので完全に判りませんでしたが手術同意書にサインしました。尚,部長は腫瘍のことを一度たりとも””とは言わなかったです。

 説明が終わると17:20に今から「手術をします。」と看護師が家内をベッドで運んでいきました。

 手術時間は1時間程度かかるので,その間に自宅に帰り夕食と家内からの頼まれものを持ってくることにしました。

 家内に「頑張って!」と言って病院を出ると状況を話していた弟から電話があり「手術するのなら付き添いをしようか。」と言われた時に私の緊張の糸が切れ哀れさで涙が出ました。

 「1時間程度の手術だから」と弟の付き添いを断りました。


 地下鉄で帰宅する気力も無くなりタクシーに乗って自宅に向かっていると野鳥撮影の先輩(病院友達?)から電話が入り「食事に帰っている間,病院に行って上げる。」と非常に親切な話です。

 これを聞き,又もや目頭が熱くなりました。

 本当にビビりな気の弱い私です。ありがとうございました。

 これから先のことを考えると精神的に耐えることができるのでしょうか。


 急いで夕食は昨日購入しておいたカニ雑炊と野菜の浅漬けで済ませ,頼まれものを持って病院に戻ったのは18:40頃でした。

 病室を除くと家内が寝ており,起こすと麻酔が覚めていないので時間感覚が判らず手術結果も判りません。

 そこで,私は医師を探してナースステーションに行きましたが見つからず,ナースに様子を聞いてみると「1時間ほどで手術は終わり,成功したそうです。」と有り難い回答です。


 家内が麻酔から覚めるまでの間に,病院に来ていただいた先輩と20時近くまで話をさせていただきました。

 今日の長い1日本音で喋られる人が居なく,非常にありがたかった。

 そして,病室に戻ると家内は殆ど覚醒しており,私は「8時やで。手術はうまくいったそうだ。」と喋ると,家内は「心持,腹部の痛さがましになった。」と答えてくれました。

 胆汁が流れ始めたのでしょうか?これで,食事が摂れるようになり体力を回復させて頑張ってもらうことを期待します。

 頑張り屋の家内ですからネ。

 

 「明日は昼から来るわ。」と話すと,家内は「今日はありがとう。疲れたやろ。ゆっくり休んで。」と言われました。どちらが病人やねん。
 長い1日でしたが戦いは本日から始まりましたあ。奇跡を信じて家内を見舞います。


 この診療所の医師殆ど歩けなくなった家内を通院させたり,CT撮影に行かせたりと,家内に対する気遣いを全く感じず,入院も検討してくれませんでした。

 家内は12月初めから胃の調子が悪いと,胃カメラを呑んだり検査しても原因不明で,その間に症状はどんどん悪くなりました。

 この糞医師がもっと早く大病院を紹介してくれていれば,妻の余命3ヶ月ではなかったと,未だに恨んでいるので,仇敵なのです。

 今日も寝不足なので朝食後の9時前から12時過ぎまで居眠りをしました。朝食後の居眠りも習慣になりました。睡眠は加算できないので,睡眠不足は解消しません。
 今日は2週間ぶりでスーパーに行きたかった。

 電動三輪自転車があるので行く気が起こり,スーパーではカートを押すので杖が要りません。

 スーパーに入るとイチゴはなくなっており,代わりにスイカが置かれていました。季節はもう夏なのですね。

 初物で美味しそうなのでカットスイカ小を購入しました。

 それから今夜のおかず用に刺身の盛り合わせ878円,卵豆腐,インゲン胡麻和え,マグロチラシ,を購入して,オレンジママレード大,おやつにヨモギ味柏餅2個,ぼんち揚げ,鬼フライ,カルピスソーダを買うと2966円となりました。

 帰宅してから気付いたのですが,今日は5月5日こどもの日で菖蒲湯の日だったのですが,菖蒲を買い忘れたのでした。忘れ物はいつものことです。

 早速帰宅してスイカと柏餅を食べると美味しかった。私は間食が多いので太ります。そして,15時となったので昼寝も出来ず遊歩道の散歩に出掛けました。
 今日の散歩は,下半身の怠さはマシだったのですが,寝不足で体全体が重く,目も疲れ目で歩くと更にそれが増します。そして,息切れが酷く5回の座り込んでの休憩でいつもの2/3の距離を歩きました。直射日光がきつくて汗だくになりました。
 スマホによる今日の歩数は6117歩,距離は3.3kmで,歩速は4.0m/hとなっていました。
 また,スマートウオッチのGPSによる散歩距離は2.31km4194歩,歩速は3.8km/hとなりました。もう,ヨタヨタなので普通の速度で歩けません。


 今日の花はヒヨドリバナです。