昨日の夕食はきんぴら春雨,牛肉のすき焼き風包み焼き,ちくわのキュウリ詰めで済ませました。また,デザートはイチゴでした。

 おかずは全て美味しかったのだが,牛肉が硬かったのが惜しかった。でも,価格相当の肉なのでしょうね。

 

 昨夜は午前0時半過ぎ精神安定剤と睡眠薬の服用をして消灯しましたが寝付きが悪く,寝付けないので再びテレビを観て寝付いたのは1時半頃だと思います。

 そして,7時半ぐらいから何度も目を覚まし,仕事の夢を観ながら8時過ぎのアラームに起こされました。

 仕事の夢など観たくなく,非常に眠たかった。


 スマートウオッチでの睡眠の質の評価は”やや低い”であり,睡眠時間は6時間13分でした。


 起床後の血圧は141-71mmHgとやや高く,体重は前日より+0.5kg68.6kgでした。

 昨夜は撮り溜めていた”ビフォーアフター”を観ました。
 今回の依頼は,京都市東山にあるK家。100歳のおばあちゃんが一人で暮らす,築62年の木造二階建て。ここは先代の父の跡を継いで,清水焼の絵付師をしている長男の工房を兼ねた住居で,リフォーム後は長男夫婦と同居する予定だ。
 ただ,高齢(75歳)の長男も16年前に肺がんを患って以来,体力が落ち母親を世話するにも,この家はあまりにも不便で危険だった。家は,玄関をはじめ,あちこちに段差があり,窓外に置かれた洗濯機や,狭くて細長いトイレ,昼間でも真っ暗の台所など,おばあちゃんが転倒しかねないと家族は心配する。

 また,二階には普段,長男が二人の弟子と絵付けをしている作業場がある。陶磁器に絵付けを施し,一階の窯場へと運ぶのだが,その階段は,板で足元が見えない上に急階段。途中三角形のいびつな踏板もあり,足を踏み外さないよう気を付けて運ばなければならず,こちらも危険だ。他にも、長男夫婦が飼う,60キロを超える,2頭の超大型犬も一緒に暮らす予定だが,今の間取りでは飼いづらく、課題となっていました。
 この番組の中で,子供や孫達に囲まれておばあちゃんの100歳の誕生日会の様子が映されており,急に母のことを思い出しました。

 私の母は2020年11月19日99歳で亡くなったのです。

 母は4月生で,後半年生きれば100歳の誕生日会を開けたのですが残念です。

 ただ,特養に入っていた母の99歳の誕生日にはコロナ過のせいもあり大々的に出来ず,弟と孫,ひ孫の3人で誕生会を行ったのでした。

 そして,母の依頼で100歳(数え)の誕生を祝って特養の入居者にケーキとタオルの配布を行っていました。もう,これが最後の誕生会と思わせる様でした。


 気まぐれ日記によると【11月にはいると母の様態が悪くなり,いつ亡くなるか判らなくなったのでコロナ禍ですが前日に弟家族が母を見舞っていました。私は透析の関係もあるので19日に母を見舞ったのですが,その時母は殆ど昏睡状態でしたが,私の呼びかけに顎を動かし応えてくれました。
 そして夕食を摂っていたら19時前に(弟の次男)から電話が入りました。あっ母が!と思って電話を繋ぐと,案の定5分ほど前に母が息を引き取って,これからが特養に向かうとのことでした。私が特養を後にして4時間ほど後に母は亡くなったのでした。まるで私を待っていたかのような亡くなり方でした。

 甥からの電話を切ったら,私の弱い精神が破裂して「おかんが,死んだ!」と大声を上げて大泣きです。そして,写真の妻にも「お袋が死んでん」,「あんたが,迎えに来てくれたんやね。」と言うと,更に大泣きなのです。これが,75歳の老人の醜態なのです。
 私は,自宅を出る時に,写真の妻に「都島の泌尿器科に行ってくるわ。」,「その帰りにお袋のとこに行ってくるわ。」,「もう,お袋が苦しんでいたら,迎えに来たって。」話していたのです。

 を看取った時には,涙が零れましたが号泣はしませんでした。泣いている場合ではなく,喪主として葬儀の準備をせねばならなかったのです。号泣した時は,葬儀を終えて自宅で一人になった時に,妻の遺影を見ながら「何で死んでん。」と大泣きしたのでした。
 式終えて自宅で一人になりしとき妻が死んだと涙溢れて
 吾が妻が死んでしもたとそっと泣き帰って来いよと更におお泣き


 妻が亡くなった時には,妻が可哀想で悲しくて,寂しくて,これから一人の生活に不安があって大泣きしたのでした。一方,母が亡くなったことに対しては,母への恋慕や懐かしさから大泣きしたのです。どちらも,寂しいのですが母が亡くなったのと妻が亡くなったのでは感じ方が異なります。
 この世で,私の名を呼び捨てにしたのはだけだったのですが,その声をもう聞く事が出来ないのです。諸行無常ですね。】


 昨夜は番組を観て,優しかった母を急に思い出したのでした。

 妻が亡くなって5年後に母もなくなったのですが,妻が亡くなった時には,母は妻の亡くなったことよりも,私が可哀想だと泣きじゃくったのでした。

 母は死ぬまで私のことを案じていてくれたのです。

 昨日のニュースはドジャースの大谷賭博問題で持ちきりでした。

 その報道で,大谷が賭博に全く関与していないことは信用できたのですが,大谷の口座から大金が勝手に引き出されていたことに合点がいきません。

 私もインターネットバンキングをしていますが,お金を動かすには2重認証などが必要となり,ただのパスワードだけでは,それが行えないのです。

 このことが明確にならない限り,大谷の会見には不信感が残るのですが。

 今日も透析です。
 透析前の体重は69.6kgとなっており,除水量はDWの67.3kgから2500ccとなりましたが,直ぐに血圧が下がるので,今日は300cc残しの2200ccとなりました。月曜日に1000cc残しだったので,水分の摂取量を減らし体重は余り増えていません。
 今日の穿刺は少し痛く,透析中は血管がズキズキと少し痛かった。
 今日も非常に眠く居眠りばかりしており,神経痛が出て脚が痛かった。
 なお,3.5時間の透析終了後の血圧は137mmHgと普通で,看護師による止血は10分で終わりました。
 そして,今日も起立性低血圧の心配から車椅子で更衣室まで前まで運ばれました。
 また,止血後の体重は67.6kgであり,DW(67.3kg)より+300gでした。


 今日の花はひまわり・パチノです。