昨日の夕食は千切りキャベツにポークウインナー,目玉焼き,モズク,ツボ漬け,メカブで済ませました。また,デザートはデコポンでした。

 日曜日には目玉焼きとウインナー,ハムの組合せのおかずが多いです。朝食のようなおかずですが,美味しいのです。

 

 昨夜は午前0時半に前に精神安定剤と睡眠薬の服用をして消灯しましたが,眠りの落ち方はマアマアよかった。そして,記録には残っていませんが,夜明け頃から何度も目を覚まし,8時過ぎに起床しました。

 もっと熟睡したいのですが,よく眠れた方でしょう。


 スマートウオッチでの睡眠の質の評価は”良い”であり,睡眠時間は6時間55分でした。

 起床後の血圧は144-73mmHgとやや高く,体重は前日より+0.5kg68.8kgでした。

 土曜日にデイケアにて私と良く話をする40代の女性介護士の人が辞めることになった。

 2年半ほどお世話になったので何故だか寂しい

 その方は貧血で体調が悪いのと,私には感じられませんでしたが,職場での人間関係に問題があったようです。

 私には,どうすることも出来ません。

 現役時代は辞めたいと言った女性設計者を私の直属の部署に人事異動したり,他部門に移動したり,他部門から引き取り私の直属にしたりと移動の経歴はあります。

 今はただ,「お世話になりました」だけです。

 また,透析クリニックでは私と仲良しの看護師の姿が見えずに,辞めたのかと思っていたら,シフトの問題であったらしく,最近姿を見せるようになった。

 良かったやん。最近人恋しくて親しくなった人と別れるのが寂しくて嫌なのです。
 31.5年の現役時代には,色んな多くの別れ(人事異動含む)がありましたが,寂しさは感じたことがありませんでした。

 若者が退職する理由は何ですかのアンケートをニュース番組でやっていました。
 1.職場の人間関係が好ましくなかった
 2.給料が少なかった
 3.労働時間や休日の労働条件が悪かった
 4.会社の将来が不安だった
 5.仕事の内容に興味を持てなかった


 人間関係では配属された部署の上司や同僚の問題であり,運次第でしょう。私も人事異動があったり,上司が代わったりし,私も上司になった期間が長かったが,嫌がられる上司だったのでしょう。


 給料,労働条件,会社の将来に関しては,事前調査不足であり,自己責任が大きいと思います。
 仕事の内容にも自己責任もあるが,自分の好む作業の部署に配属されるかも運次第であり,与えられた仕事に慢心する努力が必要と思います。

 私は子供の頃の夢だった電気機器の設計31.5年携われたのは幸運でしたが,設計にも色んな種類がありました。

 でも,やる気を起こさせる設計で満足な仕事でした。

 でも,好きな設計でも会社を辞めたいと思う時が数回ありました。

 20代では仕事の内容がきつすぎて自分の能力不足を感じて,辞めたいと思ったのですが,同じ電気機器の設計に携わっていた叔父さんに説得されて,辞めませんでした。


 次は40代の設計課長2年目に,管理職の責任が重すぎ胃潰瘍になり,元上司に辞めたいと言ったら,その話が専務まで行き「設計課長の役職はそのままで,管理の仕事を外すから,会社を辞めるな」と説得され,会社を辞めませんでした。

 その時に「会社を一人で背負っている思うな」,「組織で成り立っている」と言われ,考え方が変わり半年ほどで胃が治ったので,元の課長に戻りました。


 次は,確か52歳ぐらいの時ですが不景気となり会社ではリストラを募集しました。早期退職です。

 その条件は定年まで勤務した退職金(2500万円以上)と一時金1000万円(多分)を出すとの好条件でした。

 私はリストラ説明会の当日に総務部長預かりとなり,他言しない条件だったので,その日の夕方リストラに応募すると告げました。

 その時には設計次長時代であり,人間関係や仕事がマンネリになっていたので,先を考えず会社を辞めたかったのです。
 しかし,私のリストラ応募情報は直ぐに直属の取締役に伝わり,朝から呼び出しを受けて説得されて退社を中止しました。

 4度目は56歳の時で,仕事はやりがいがあり好きだったのですが,体調も悪く,人間関係にも疲れたので「体力・能力・気力」の不足と理由付けして,取締役に退職を告げました。

 この退職には,今後の生活もあり,1年ぐらい前から悩んでいましたが,この重職から逃れなければ,本当に体を壊すと考えはじめ,に早期退職すると話しました。

 すると妻は「そう」と言っただけで,止めることもせず,今後の生活に不安を感じなかったのでしょうか。


 また,この話が専務まで行き,「開発に人事異動するので,体を休めろ」,「今退職したら損だ」と引き止められましたが,私の決意は強く専務が海外出張中に正式退職届を会社に出しました。
 そして,退職が認められ2001年9月末に早期退職しました。

 専務からは「辞めるのならボーナスを貰ってからにしたら良かったのに」と言われましたが,私はそれが嫌だったのです。

 この早期退職により年金も3万円程度少なくなるのも覚悟しました。


 最終の出社の日は玄関まで見送り「長年ご苦労様でした」と言っただけでした。

 それから9ヶ月間体を休め,取締役からのお誘い営業技術の委託社員として復職しました。

 私はハローワークに給料35万円以上で残業無しの条件を出しましたが,56歳の元設計管理職など求人はなかったのでした。
 また,復職して給料は減ったのですが,64歳の再退職まで妻の生活感は現役時代と代わらず,フラダンスのハワイ旅行も続けていました。

 なお,給料が減った大きな原因は仕事よりも趣味(野鳥撮影)を優先して会社を休んだからでした。

 生活のために働きたくなかったのです。

 私の生涯は一応子供の頃からの夢であった,電気機器の設計関連の仕事を出来たことで満足しています。

 ただ健康上には大きな問題が起こり,現在透析にて機械的に命を長らえています。

 今週も嫌いな透析が始まりました。
 透析前の体重は69.7kgとなっており,除水量はDWの67.3kgから2600ccとなりましたが,400cc残しの2200CCで除水しました。
 今日の穿刺は少し痛く,透析中は血管がズキズキと少し痛かった。
 透析中は脚の関節が少し痛く,非常に眠たかったので居眠りです。
 なお,透析終了後の血圧は140mmHgと普通で,看護師による止血は10分で終わりました。
 そして,今日も起立性低血圧の心配から車椅子で更衣室まで運ばれました。
 また,止血後の体重は67.8kgであり,DW(67.3kg)より+500gでした。


 今日の花はヒペアスケリアです。