昨夜は始めてのポムオム(バターライスを玉子で包み,ミートソースをかける,鶏屋のひねポン,マグロの生姜煮で済ませました。
ポムオムは冷凍食品で,始めて購入しましたが面白い食感でした。
また,デザートはイチゴでした。そろそろ,イチゴも出回らなくなりそうです。
昨夜はYoutubeを観ていたので,午前1時前に精神安定剤と軽い睡眠薬を服用し,就寝したのは1時半前ぐらいでした。
そして非常に怒っているリアルな仕事の夢を観て夢を7時半ぐらいに目覚めましたが,また眠り9時のアラームに起こされました。
スマートウオッチでの睡眠の質は”良い”で,睡眠時間は6時間31分となっていました。
なお,起床後の血圧は125-71mmHgと普通で,体重は前日より+0.5kgの66.2kgでした。
妻の祥月命日が近づく3月末は,気分が重く沈んだ日が続きます。
これは何年経っても,治らないでしょう。
2015年の今日(3月29日)は私の人生において,悲しくて思い出したくない記憶があるのです。
その日の”気まぐれ日記”では死を自覚した妻の,本音が見えたのです。
【すい臓ガンの末期期症状で苦しむ最愛の妻から「もう,死んでも良いですか?」と言われたら,あなたはどのように応えますか。
今日も眠られず7時過ぎに起きてしまいました。最近,家の中がゴミ屋敷となっているのが非常に気になっているのです。(綺麗な家で家内を迎えてあげたい。)しかし,絶対にありえないことであるが万が一家内が一時帰宅するかもと思い,目に見える場所(特に居間や家内の部屋)は片付けられないのです。
そこで,荷物入れの引き出しの中などを整理しているのですが,余りに量が多すぎるのと家内との思い出の品が多く,また私にも時間が無く遅々として進みません。
そして,バスで病院に向かい病棟で受付を行ったのは11:13です。
担当の看護師さんが私を家内の病室に案内されるまでの間に「奥さんは,意味不明のことを言われることがありますが。返事をしてあげてください。」と言われました。私も時々,家内が何を言っている判らないことがあったのです。
病室に入ると家内は眠っており,看護師が「優しい旦那さんが来られましたよ。」と家内に言いました。(消化器内科の女性部長からも私のことを家内に”優しい旦那さん”と言われました。私は,決して優しい旦那ではなく,卑怯な弱い旦那なのです。本当に優しい旦那なら,妻を自宅で看護したり,24時間病院で妻に付き添いますから。)家内は目を覚まして「・・・・・」と意味不明なことを言ったのですが,私を判ったようで「お腹を切ってん。」とパジャマを捲って腫れた腹部を見せます。
当然傷口など無く,家内は夢の中ですい臓ガンの手術をしたのでしょうか。(手術をしてすい臓ガンを直したかったのでしょう。)私は返す言葉が無く「風邪ひくで。」と言ってパジャマを下ろしました。
暫くすると,家内は「もう死にたい。」,「鋏は何処や。」と言い始めました。
鋏は消化器内科に入院中に,腹部の腫れが酷くショーツやパジャマが着られないので,それらに切れ目を入れるために家内の依頼で”大きな鋏”を持参したのでした。
そこで,「鋏は引き出し(ベッドの脇机)の中や。」と答えましたが,私は危険を察知して家内に見えないように,私のカバンの中に仕舞い込みました。
今日持参した洗濯物を家内に見せて,「この棚に入れておくからな。」と言うと,「有難う。」と返事をしました。
そして,暫くすると家内は私の顔を見て「もう,死んでも良いですか?」と突然言い出しました。
いつも強気な家内が,このような言葉を発するとは予想もしていなく吃驚しました。
私は,どのように応えたら良いのか判りません。
昨日までの家内の症状を見ていると,”家内との別れは仕方がない”と自分自身を納得させかけていたのですが・・・頭の中では「今までよく頑張った。もう頑張らんでも良えで。」と思う時もあるのですが,絶対に口には出せません。
家内が私に”死出の旅立ち”の同意を求めている(と思う)のは,私が26日にも「頑張って。」と言ったからなのでしょうか。
家内は私を寂しがらせないように,私のために”死”と戦っているのです。
次に,家内は「何で生きてんの?」と私に聞きますが,これも応えることができません。
やがて,家内は切なそうな顔をして「情けないわ。」と自分自身を悔やんでいます。
家内は病で”半狂乱状態”になったと思いました。
私は我慢が出来なくなり,看護師詰所に行き看護師に「家内が・・・・と質問してきます。」,「どのように,家内に応えたら良いのでしょうか。」と聞きましたが,看護師は「お気の毒です。」,「患者さんによっては奥さんのようになられたり,怒り出したり,体が動かないのに暴れ出す方も居ます。」,「このような症状は,全て病気が原因で頭まで病巣が広がっている可能性があります。」(気が狂ったのではない。),「精神安定剤を投与しましょう。」と言いました。
そして,病室に来られて家内に精神安定剤を飲ませると,暫くして家内は安心して眠りに落ちました。
しかし,あの発言が家内の”本音”であるのかと思うと,家内が本当に可哀想で気の毒です。
痛みに耐える辛い余生を過ごすのなら,このまま安らかに眠っても良いよとベッドの横で家内の手を握り思いますが,未だもう少しと思う自分との葛藤です。
家内は夢を見ているのか「もう,良いです。」と何度も言い治療を断っているようなのです。本当に”生きる希望”を無くしてしまったようです。
看護師は私に「いつ帰られても良いですよ。後は私が面倒見させてもらいます。」と言ってくれます。
私は腰痛が酷く精神的落ち込みが大きいので15時に病室を出て,担当看護師に「今日は帰ります。家内をよろしくお願いします。」と言うと,「お疲れ様でした。気を付けてお帰りください。」と私の心のケアまでしてくれるのです。
私は「有難うございます。」と言って病棟を出ました。
腰痛のために腰を庇いながら歩く古稀間近の老人は,よほど”哀れ”に見えるのでしょう。
それにしても,緩和病棟の看護師は家内だけでなく,私にも非常に親切で誠意を持って対応してくれます。
家内が,看護師に手を合わせて「有難うございます。」と言う気が,良く判ります。緩和病棟に入られて良かったです。
以上の会話は,最近私の精神状態が悪く”何でもメモする習慣”が付いてしまったので,真実の会話です。末期のガン患者を妻に持つ夫は,私より強い人が殆どなのでしょうね。】
後で聞いた話ですが,妻は私に世話をかけていることに感謝をして,医師や看護士に「優しい旦那」と言っていたようです。
妻は,私にはいっさい別れ(死)に対しての,感謝の言葉を言わなかったのは,弱い私のためだったのですね。
私の頼りない看護に,妻は満足してくれていたのですね。
私は妻の「もう,死んで良いですか?」の問いに,2日後の3月31日に応えることが出来ました。
病室に来てくれた家内の親友と,敢えて悪口を家内の枕元で喋っていると,家内がその声が聞こえていたのか半目を開けて私を見たので,私は家内に「今まで好きなようにしてきたな~。もう好きなようにしたら良えよ。」,「俺のことは,大丈夫やから気にせんで良えで。もう良えで。」と言うと家内の目から涙が零れ落ち,肩で呼吸していたのに直ぐに呼吸が止まり,安心したように私を見たまま息を引き取りました。
握っていた家内の手が冷たくなってきたので,足も触ってみると冷たくなってきていました。
明日は一心寺にお参りに行き,妻(お骨仏)と逢ってきます。
今日も透析です。
透析前の体重測定ですが67.3kgとなっており,月曜日に200ccを残したのですが体重増加が少なくDWの65.5kgに対して除水量は2000ccとなりました。
今日の穿刺は殆ど痛くなく,透析中は血管がズキズキと少し痛かった。
今日も非常に眠たい透析で,何故だか寒かった。
3.5時間透析終了時の血圧は143mmHgと普通で,看護師による止血バンドの止血は10となりました。
今日も起立性低血圧の心配から車椅子で更衣室まで送ってもらいました。
なお,止血後の体重は65.6kgであり,DW(65.5kg)に対して+100gでした。