昨日の夕食は全てヘルパーさんに作って貰った冷凍の海鮮丼(鮭とイカ),鮭の西京漬け,シロナの味噌和え,奈良漬けで済ませました。そして,デザートは柿が無くなったのでリンゴに変わりました。
 昨夜は透析から帰宅しても血圧が低く,気持ちが悪く食欲がなかったのですが無理して食事を摂りました。

 

 昨夜は寝る前にトイレに行ったのですが,脚が頼りなくヨレヨレで倒れそうなのです。
 妻が亡くなって8年近く,妻の物真似で1人で何とか生活をしてきましたが限界に近づいたようです。

 生活全てを妻に頼っていた何も出来ない私が,これまで生きてこられたのが不思議に思えてきました。
 そして,強烈に寂しく不安で一杯になりました。ああ,もう嫌だ!


 午前2時前に精神安定剤と睡眠薬を服用して2時過ぎに就寝しました。

 そして,何か夢を観ながら7時前に目を覚まし,未だ早いからもっと寝ようとしましたが眠りが浅く夢ばかり観ながら,何度も目を覚まします。

 夢の中では,久しぶりに妻が出てきました。

 抗ガン剤の効果で何とか苦しみながらも生きながらえている姿は残酷でした。

 夢を観ながら9時過ぎになったので起床しましたが,気分は落ち込んでいます。
 なお,起床後の血圧は82-51mmHgと非常に低く,体重は前日より-0.9kgの65.4kgでした。

 ここまで血圧が低いと気持ちが悪く倒れるのではないかと思いながら朝食を摂りました。

 今日は無気力で暗い日なのです。
 昨夜は撮り溜めていた録画のドラマを観ました。ドラマは研修医緩和ケアー科に研修に行き,担当患者が亡くなったと聞かされていた父だったと,如何にも絵空事の物語だったのです。

 でも,このドラマを観て緩和病棟に入っていた妻担当医のことを思い出しました。

 以下は亡くなる1日前の3月30日の”気まぐれ日記”の内容の抜粋で,暗い話なので,読み飛ばして下さい。
 【昨日,最愛の妻から「もう,死んでも良いですか?」と言われてから,その言葉が気になり,今日も寝不足です。その言葉は”敬語”であり夫婦間の言葉ではないので,他人に言っていたのだろうか?
 本心から,”そのように”に思って言ったのだろうか?私も”頑張って”と言ってしまったが,見舞いの方からもそれを言われるのでプレッシャーだったのか?
 目を見開いて言っていたので,本当は私に先に逝くことの同意を求めたのだろうか。その他,いろいろ考えると眠れませんでした。
 今朝も病院に行くまでの間に居間の整理を行ったが,余りの量の多さに一向に片付かない。

 時間になったので自宅を自転車で出て,病棟到着は11:13でした。

 私は家内に「来たで。」と言うと,目をつぶったまま家内は「はい。」と答えてくれました。

 暫くすると医師(若い女医さんです。)が病室に入って来られ,「奥さんの状態は悪くなっており,痛み止めの薬を飲むことが出来なくなったので,腹部にポンプで送ります。」,「そして,昨日は精神的に不安定となられたので,安定剤もその中に入れます。」との説明です。

 看護師が家内に「お腹に注射します。」と言うと,「はい。」と答え,「チクットしますよ。」と言われても,「はい。」と家内は答えました。

 でも,目は開けず答えているので,声掛けに対して無意識に「はい。」と答えているのではと思いました。


 家内の容態が悪いのか,医師や看護師が頻繁に家内の様子を見に来てくれます。

 家内は,鼻に酸素を送り込まれて,眠ったままで大きく肩で息をして意味不明のことを言ったり,手を動かします。

 私は病室に居たのですが,精神的に限界に達しており昨日の家内の問いに対する答えが欲しくて,この病院内にあるがん相談支援センターを訪ねてみました。(元来,私は人の意見をあまり聞かず自分で結論をこじつける傾向にあったのですが,今回は答えが判りません。)

 そのセンターでは専任の看護師が来られて,これまでの経緯,私の家庭環境(夫婦二人だけで,他に看護する人が居ない。),私の健康問題(腎不全,高血圧,糖尿,自律神経失調症そして椎間板ヘルニア)を説明した後に「もう,死んでも良いですか?」と家内から尋ねられた場合の答えを教えてもらおうとしました。


 私は”もう頑張らんでも良いよ”と頭では思いますが,家内には口に出して言えませんと言いました。

 専任の看護師からは,「患者さんによって,色んなことを言われます。」,「本当に病気が苦しくて言われる場合が多いです。」と言われ,いろんな意見を出して頂き,私の健康状態にも気を使われます。


 「1ケ月以上,毎日病院に通われ普通の方でも精神的・肉体的に疲れるのに,いろんな病気をお持ちで一人で看護されていてはお疲れでしょう。」と言われたので,私は「この病院で処方してもらった”精神安定剤”と”睡眠導入剤”で何とか頑張っていますが,限界に近いです。」と話をしました。
 1時間以上色んな話をしていただいたのですが,私が納得できるような答えが出ず,自分で答えを決めることで相談室を出ました。

 病室に戻ると看護師から「昨夜は奥さんの体を拭いてあげた際は普通に喋られていました。」,「しかし,今朝から殆ど眠ったままで,昼過ぎには問いかけにも反応が無くなりました。」,「血圧も下がって来ており,何が起きても不思議義でない状態になりました。」と言われました。

 私は「体力が無く一旦自宅に帰りますが,容態急変時には連絡ください。」とお願いしました。

 15時過ぎになったので病院を出ようと,昨日の”家内からの問い”に応えるために家内の手を取りこれまで頑張ってきてくれたんやから,これからは自分の思うようにしたら良いよ。」,「俺のことは気にせんでも良いよ。何とかなるから。」と言うと,眠って意識が無いはずの家内の目から涙がこぼれました。


 私はその涙を見て,益々家内が哀れに思い,もう一度だけでいいから「有難う。お世話になりました。」と声に出して言ってから,眠るように逝って欲しいと思いました。

 そして,家内の問い(希望?)に対する私の答えが間違いなかったと確信しました。

 私は家内に帰宅する挨拶をしようとしていると若い女性医師が入って来られ,家内の容態を見てくれます。

 そして,医師は「先程の血液検査の結果を見られますか。」と言ったので,私は「結構です。どうせ,良くはなっていないのでしょう。」と断りました。

 それでも「腎臓の数値は徐々に悪くなっています。」と言ったので「私よりはマシでしょう。」言いましたが,私が狂っているのでしょう。


 暫く(30分以上),その医師(若い女医さんなのにしっかりしています。緩和病棟のような,治る見込みがなく死期を待つだけの患者の担当医になるとは尊敬します。)と話をしていると医師も私の体を気遣い「1ケ月以上も毎日病院に来られて看護されているのでお疲れでしょう。」,「家に帰られてお休みになったらどうですか。」と言われました。


 私は医師の言葉に甘えて,家内に「今日は帰るわ。明日また来るから。」と言ったのですが,家内から返事はありません。

 しかし,医師からは「奥さんは”はい”と言われましたよ。」と私を慰めてくれたのでしょうか,それとも,医師には判るのでしょうか。

 私が病室を出ると,医師は「病棟出口まで送らせていただきます。」と言って,一緒に歩きました。(医師が患者の家族を送ることなど有るのでしょうか。)

 出口までの途中に医師から「奥さんが緩和病棟に移られた時にご主人に大変お世話をかけていますと感謝され,これからのご主人のことを非常に心配されていました。」と話してくれました。

 私は家内から”自分が逝った後の私のことが心配だ”とは一切聞かされていませんでしたが,家内の「もう,死んでも良いですか?」と言った言葉は,病気の辛さに耐えることが出来なくなり私に同意を求めた言葉だったのですね。

 帰宅途中では”家内の気持ちいが判った”ことと”残りが少なくなった”で精神状態がおかしくなり,帰宅後に”精神安定剤”の服用です。

 もう,この薬が無ければ発狂しそうです。

 病院から家内の容態が変わると連絡が入ります。

 家族に患者の臨場に立ち会わせてあげるのが医師の務めなのでしょうか。

 あの病棟では,連日患者の家族(複数人)が病室に詰めかけたり談話室に集まっています。

 24時間面会は可能なのです。

 家内の部屋にはソファーベッドも用意して貰っているので,呼び出しがあれば泊まり込む予定で,家内の最後を看取ってあげたいのです。


 私は,これまで臨終に立ち会い看取ったことがありません。(父の場合は亡くなってから,病院から連絡が入ったのです。)

 そして,家内には私しか居らず,寂しい旅立ちとなりますが頼れる人もいません。(家族がいない場合には,このような寂しい別れになるのです。)


 大阪市内には,私の弟も居るのですが家内と弟は30年近く前に喧嘩をしたまま(家内の母が原因で,私もその義母とは絶交状態です。)で,弟は家内の見舞いににも来ず,家内も「来ていらん。」と言っているのです。

 私が頼めば弟はすぐに駆けつけてくれますが,弟は商売をしているので迷惑がかかります。


 しかし,家内が逝ってしまった直後には私が狂乱状態に陥り冷静に対応できるとは思いませんので,夜中であっても連絡するので直ぐに来てほしいと依頼済みです。

 でも,瞬間湯沸かし器のような私の性格上,葬儀は責任を持って行い,家内がゴミ屋敷にしてしまった我が家に”お骨”は持って帰ります。
 もう,部屋の片づけを行う気力がなくなったのと,汚ないままにした方が家内が安心だろうと,そのままにしておきます。

 葬儀後の私は,どのようになるのか今は考えられません。

 とうとう,最後に近い暗い日記となってきました。

 この日記の更新が止まった日が,家内の逝った日となります。

 この日記を書いている現在も,家内は私のために頑張ってくれています。】

 その3月30日には,私の体力も限界に近く,精神的に壊れる寸前でしたが気力で頑張りました。

 私が倒れると,妻の看護をする人がいないからでした。


 今日は血圧が低くて気持ちが悪いのだが,歩けなくなったら困るので遊歩道の散歩に出掛けようかと悩んだ。

 そこで,血圧が100mmHg台なら転倒が怖いので散歩を止めることにして,血圧を測ると111mmHgと微妙な数値でしたが散歩に出掛けることにしました。
 15時半前に自宅を出たのですが,脚が怠く血圧が低いせいか非常に疲れて直ぐに休憩をするのです。

 今日の歩数は4216歩,距離は2.3kmで,歩速は4.0km/hでしたが,休憩している時間が長かった。
 この距離を歩くのが精一杯で,何とか自宅に帰ってきましたが,血圧は105mmHgと低かった。

 また,目の奥が痛く頭も痛かった。
 疲れる理由が血圧なのか,明日透析時に医師に聞いてみます。血圧が低いとドライウエイトを上げられる可能性があり,嫌なのですが。