昨日の夕食はレトルトの鯖の味噌煮,胡麻豆腐,モズク,海苔の佃煮で済ませましたが,何かしらみすぼらしい夕食です。
昨夜は午前1時過ぎに就寝して7時前に目覚めました。
もっと眠りたかったのですが,脚が暑くて神経が苛立つ(自律神経が狂う)ので寝付けず起床してしまいました。
日々,睡眠の質は異なります。
起床後血圧は110-65mmHgとやや低く,体重は56.5kgと前日より0.6kg増えていました。また,体温は36.5℃でした。
これまでも感じていたのですが,最近益々感じることがあります。
それは,”俺は何をしているのだ?”,”このような生き方でよいのか”なのです。
5年前に妻を亡くすまでは,家事は全くせずに妻に「飯 風呂 寝る」と喋るのが殆どで,食事の用意をして貰い,風呂を沸かして,布団を敷いて貰っていました。
また,「お茶入れて」,「コーヒー入れて」とこんな簡単なことでも自分ではしませんでした。
私は何もしない関白亭主でした。
また,働いていた時の習慣からか,早朝から野鳥撮影に出掛ける時にも妻に起きて貰い朝食の用意をして貰うのです。
朝食の用意と言っても,食パンを焼いてコーヒーを入れて貰うだけで,妻の手を煩わせる必要がなかったのですが,私の甘えでした。
どんな場合にも妻は嫌な顔をせずに私の言うことを聴いてくれており,私は趣味の野鳥撮影,プールに行く,1日中ゴロゴロとしているの気ままな生活をしていました。
ところが5年前に青天の霹靂で妻にすい臓ガンが発覚して,たった3ヶ月で他界してしまったのです。
その時から私の生活は一変してしまい,生活力の無かった私は世間で一般的に言われる,自力での生活力のない妻に先立たれた男性の死亡は1,3,5年未満が多いを実行すると思っていました。
しかし,予想外に5年以上生き延びてしまいました。
昨年9月が腎不全の悪化から,もう1ヶ月放置すれば歩けず,食べられず,体が怠くて眠たく孤独死をしていたと思います。
そうなれば,5年のジンクスが当たったのですが。
今思うのは,趣味にも飽きてきて生きる気力を無くしかけてきた私が5年前に亡くなっていれば,妻に死に水を取って貰い辛い透析もせずに済んだと思います。
古希を越えてから体調の劣化は急速に進み足腰の衰え,腰痛,歯の悪化,難聴,白内障と老人病が目立つようになりました。
今後これらは急速に益々進行するでしょう。
現役時代は5カ年計画などと将来の目標を持っていましたが,現在は来年のことなど全く想像も出来なくなりました。
現在は透析があっての生活となっており,月,水,金曜日の月,金曜日は10時前から11時前までヘルパーさんにお願いして掃除や夕食の準備をして貰っており,透析に控えて体を休めるために13時過ぎまで昼寝をします。
そして,13:20に自宅を出て透析を済ませて帰宅するのは17:50頃であり,暫く休憩後に夕食の準備をして夕食後はパソコンの前に座り,20時過ぎには食器の後片づけと歯磨き洗面を済ませて20時半にはベッドに横になります。
そして,大抵は21時~22時の間に居眠りをします。
また,火曜日は整形外科医院や月に1回程度は歯科医院に行く予定を入れており,木曜日は大抵通院と散歩が入っています。
そして,翌日に透析があると思うと気が重いのです。
土曜日には翌日に透析が無く一番気楽な日ですが,無気力で何もする気が起こらず散歩に出掛けるのが精一杯なのです。
そして,日曜日は少し家事をして月曜日の透析に備えて17時から入浴をして1週間が終わるのです。
このような,透析のために生活をしている生き方に矛盾を感じるとともに,これから劣化している体力に不安を感じるのです。
そこで,”俺は何をしているのだ?”に突き当たるのです。
同年代の妻に先立たれた男性は1日を如何に過ごされているのでしょう。
それが自分の思う満足な生活なのでしょうか。
私のガス抜きは,長電話です。
亡き母の作った川柳です。
煩悩を消して平和の鐘をつく
湯煙に老いを傾けて紅を引く
脇役の光る演技で盛り上がる
愛憎を畳み込んでる男傘
出る杭を打たすものかと知恵しぼる
独り居の自由孤独の虫が泣く
ほつれ毛の襟あし盗む時雨傘
雑談の中から光る知恵拾う
謀反する手足なだめて生きている
今日も透析で透析前の体重は57.1kgと1.6kg増えており,除水量はDW(55.5kg)から1800ccとなりました。。
そして,今日の穿刺は余り痛くなく,透析中は血管がズキズキと少し痛かった。
今日は透析中に眠くて居眠りばかりしていました。
3.5時間透析終了時の血圧は152mmHgとやや高く,そして看護師による止血は成功で10分で終わりました。
また,止血後の体重は55.6kgであり,DW(55.5kg)より+100gでした。
母の描いた絵です。