今日は母の腫瘍の検査日で大阪市大病院のエコー検査と組織検査が11時からの予約となっていました。
私は自宅から地下鉄で直接病院に行き,母は特養に介護タクシーが迎えに行き病院の玄関で待ち合わせとしました。
少し早い目の10:20に病院に着くように自宅を出ましたが母の方が到着が早かったのです。
昨夜は8時に目覚ましをセットして午前1時前に就寝しましたが朝起きねばならないプレッシャーから熟睡が出来ず7時半に起きてしまいました。
このような時には睡眠導入剤も効かなくなります。
先ずは耳鼻咽喉科の診察受付を行い待合室で待ちました。
11:15に名前を呼ばれたので母を連れて診察室に入りました。
母は補聴器をつけているのですが,医師からの説明を聞くことが出来ず私の付き添いが必要なのです。
超音波で顎に出来た腫瘍の検査を行い,腫瘍に注射針で組織を取りました。
その後,医師より説明があったのですが専門用語が多いのと,私の理解力が低下しているので全てを理解できませんでした。
もともと頭が悪いので仕方がないのですが。
これまで造影剤CTやMRIを行いましたが腫瘍の原因が判らないようで,腫瘍は唾液腺から出来ているようです。
一番の心配はその腫瘍が良性か悪性(ガン)なのかの判断ですが手術してみないと判らないようです。
医師より「手術は1~2時間で終わるような簡単な手術ではなく,全身麻酔で行う。」との説明がありましたが,高齢(もうすぐ98歳)の母が手術に耐えられるかどうか判らないようです。
私の判断ですが医師もリスクのある手術をしたくないようで,急速で悪くなる腫瘍ではないので様子を見ることになりそうです。
正式には来週の診察日に今日の検査結果を含めて結論を出すようです。
母の腫瘍は珍しいので大学病院では研究対象になるようです。
診察室では,私は立って医師と話をしていたのですが寝不足が要因なのか少し気持ちが悪くなりました。
そして,診察が終わり診察室の前の椅子に座って待っていると更に気持ち悪さが増して目の前が暗くなり始めました。
これは倒れる寸前の体調変化であり,今までの経験?から心臓より頭を低くする体勢をとり治るのを待ちました。
看護士が診察票を持ってきたので,それを受け取りまだ気分が悪いので待合所の椅子に座って頭を低くして回復を待ちました。
母は心配そうに私を見ているので「大丈夫や。」,「もう少しで治るから。」と言い,10分ほど休んで体調を戻しました。
気持ち悪くなった原因は貧血であり,頭を心臓より低くすると治ることを経験していますから。このような貧血は今までから4月に起こりやすく,寝不足なときになります。
総合医療センターでは1ヶ月に1回痛い増血剤の注射をしています。
体調が戻ったので母を連れて6階のレストランに行きました。
今日も母は鰻重を食べると言い,私も食べたいのですがタンパクが多すぎるのでサンドイッチとコーヒーを頼みました。
鰻重など特養では絶対に食べられないので母は喜んで食べています。
私はサンドイッチを食べましたが味覚障害から小食になってしまったので,それを残していると母が食べると言って食べてくれました。
母はすごい食欲で私の方が重傷であり先に逝くかもと思う時もあります。
因みに鰻重は2000円であり,介護タクシーと昼食代で1万円程かかります。
それに検査料を含めると1.5万円となる時もあり年老いても医療費は高価になります。
食事を済ませて介護タクシーを呼んで母を特養に連れて帰り今日の結果を母に説明しました。
母は医師の説明が殆ど聞こえていなかったようです。
私が母と同じ立場になったら病院での付き添いがいないのでどうするのでしょう。
子供も居ない1人暮らしの老人はポックリ病がBESTです。
人間は”死ぬ時は皆1人”なので,その時になって残された人は私の気持ちを理解できるでしょう。
14時前に特養を出て実家に立ち寄り弟に今日の検査や診察結果を説明して,30分ほどで自宅を後にしました。
そして,いつものように16時過ぎに自宅を出て整形外科医院で腰の注射とリハビリを行いました。
膝へのヒアルロンサン注射は週に1回なので金曜日にすることにしました。今日は親子で通院日でした。
明日は総合医療センターで事前採血を行い,明後日は腎臓内科と泌尿器科の診察があります。
私の仕事は通院なのです。
2015年3月31日に亡くなった亡き妻を偲んでの短歌(挽歌)です。散文が多いのですが,興味のある方はどうぞ。