昨夜は24時前に就寝しました。
これまで午前1~2時に就寝していたのですが睡眠のリズムを変えるために就寝時間を変えたいのです。
そして,精神安定剤と睡眠導入剤を服用していたので寝付きは良かったのです。
しかし,水分を摂りすぎたのか夜間頻尿が酷く5時半ぐらいに3回目のトイレに行ってから眠れなくなりました。
この時間はいつもの4時台か5時台であり,精神的に高ぶりが大きくて寝付けなくなるのです。
今朝は目覚めてテレビを観るのは止めてうとうとしていたら7時を過ぎたので我慢できなく起床してしまいました。
夢ばかり見る私の眠りの質は悪いのでせめて8時間は眠りたく,希望は10時間眠ることです。
今日は母のコブの診察を受けるために特養と連携している病院の夜間診察(17~20時)を受けるので17時までに病院に行く必要がありました。
母は歩けないので特養の方に母を病院まで連れて来て貰います。
この病院は2年前の夏に介護施設に入居中の母が転倒した際に運ばれた病院であり,多分看護の手間を少なくするために睡眠薬を多用したせいで母は認知症のようになってしまいました。
医師からも認知症ですと診断されました。
1ヶ月近く入院したのですが認知症で寝たきりになってしまった母の介護が大変なので介護施設の方から,新しく開設した特養(看護士が常駐)への移動を勧められました。
特養に入ると97歳の母は徐々に認知症のような症状がなくなり,電子辞書で4文字熟語の勉強をしたりで頭の方は正常に戻りました。
そして母は「携帯電話を無くしたので電話をかけられへん。」と言いますが,その電話は,認知症の母はもう使用出来ないだろうと入院中に私のスマホに変えてしまいました。
この病院までは地下鉄で1時間以上(30分は歩き時間)かかるので自宅を15時半に出ました。
私は人を待たすのが嫌いなので16:35に病院に到着です。
母は17時少し前に車椅子に座って特養の介護士に連れられ病院に来ました。
17:15に診察室に呼ばれましたが,今回の医師は内科医でした。
医師は母のコブ状の隆起を「悪性腫瘍だと思います。」と言いました。
腫瘍は高齢のために進行が遅く,3年以上前から腫れ始めていましたが,医師は誰もそれを見ているだけでした。
今回の医師は悪性であるという根拠を話してくれ,「この病院では手に負えないので専門の科がある病院を紹介します。」と言い,「紹介状を書くためにCT撮影を行って下さい。」と言って診察が終わりました。
因みにその専門の科は耳鼻科であり,悪性腫瘍とはガンのことです。
そして,特養から一番近い大病院は大阪市立大学病院であり,その病院に紹介状を書いてくれます。
その病院は母が10年ほど前に手根管症候群の手術を行った病院であり,紹介状がないと診察してくれません。
腫瘍を取るための手術は全身麻酔となりますが検査を行い,その腫瘍の手術が出来るか母の体力面を含めて診察して貰います。
市大病院は大きな綺麗な病院であり,検査や手術を含めて私は母を連れて1年以上通いました。
あの頃は10年ぐらい前で私も元気であり体力もありました。
そして,私の都合のつかない場合は妻が母を病院まで付き添ってくれていました。
今では妻を亡くした私は肉体的にも精神的にも弱くなってしまったので特養の介護士にもお世話にならないといけなくなりました。
老老介護は厳しいのです。
今日のCT撮影には介護士の方が装置の台に母を乗せてくれました。
それにしても連日ガンと言う言葉が聞こえてきます。
我が家でも92歳で亡くなった父も胃ガンでしたが,高齢のため進行が遅いので治療の必要もなく肺炎でなくなりました。
また,父の弟も胃ガンで85歳になくなりました。
妻を亡くした私の援助を行ってくれた叔母さん(母の妹)は現在乳ガンの治療中であり,母方の従姉妹も妻より4日遅れて乳ガンでなくなり,その妹(有里ちゃん)も乳ガンの手術を行いました。
高齢化でガンは2人に1人の病気とされており,ガンとなる確率は50%と大きいです。確率的に夫婦のどちらかがガンとなる時代なのです。
私はガンと診察されたら延命治療はして欲しくないです。妻の最後は無惨でしたから。
2015年3月31日に亡くなった亡き妻を偲んでの短歌(挽歌)です。散文が多いのですが,興味のある方はどうぞ。