先程、ABCテレビのニュース番組「Newsおかえり」で、前番組の「キャスト」から続いている「なんでやねん!?」という謎解明のコーナーで、古川昌希アナウンサーとA.B.C-Zの河合郁人さんが
「近鉄南大阪線(藤井寺駅~道明寺駅)」
に関する謎を解明していましたけど、ここで私「三好 鉄道」が「近鉄」に関する小ネタ話を書きます。
因みにその小ネタとは、
「近鉄南大阪線系統(南大阪線、道明寺線、長野線、御所線、吉野線)は他の近鉄の路線と違ってレールの幅が違うのは何故?」
で、近鉄南大阪線系統のレール幅はJRの在来線と同じ
「狭軌(1067㎜)」
であるのに対し、他の近鉄の路線はJRの新幹線と同じ
「標準軌(1435㎜)」
ですが、同じ近鉄の路線なのにレール幅が違う路線があるのは何故かになると、大半の鉄道ファンの方は
「実は戦前、経営していた鉄道会社が異なっていたから」
と答えるかもしれませんね。
確かに近鉄南大阪線系統と他の近鉄の路線は戦前、別の鉄道会社が運営していたけど、
「では何故、近鉄南大阪線系統だけレールの幅を狭軌(1067㎜)にする必要があるのか?」
という理由を言ってほしかったですね。
その理由のカギとなるのは
「近鉄道明寺線(道明寺駅~柏原駅、2.2km)」
です。
近鉄道明寺線は数ある近鉄の路線の中では一番古い路線で、1898年(明治31年)3月24日に前身の「河陽鉄道(1年後に河南鉄道へ譲渡)」が柏原駅~道明寺駅~古市駅を開通したのが始まりであり、翌月には富田林駅まで延伸したそうですが、開通当初の目的が
「木材等の貨物を柏原駅から国鉄(JR)関西本線に乗り入れて大阪市内へ運ぶため」
であったために、レールの幅を「狭軌(1067㎜)」にしたのです。
その4年後の1902年(明治35年)には河内長野駅まで延伸し、更に17年後の1919年(大正8年)に社名が「大阪鉄道」に改名したのを機に大阪や奈良方面へ延伸すべく、1923年(大正14年)4月に道明寺駅~大阪天王寺駅(現:大阪阿部野橋駅)が開通し、1929年(昭和4年)3月に古市駅~久米寺駅(現:橿原神宮前駅)が開通し、更には既に開通していた「吉野鉄道(現:近鉄吉野線)」と合併して大阪から吉野への直通電車が走るようになりましたが、戦時中の1943年(昭和18年)に大阪鉄道は、今の近鉄奈良線や大阪線などの路線を所有していた「関西急行電鉄」に吸収合併され、翌1944年(昭和19年)には「南海鉄道(現:南海電気鉄道)」と合併(3年後に分離)して
「近畿日本鉄道(近鉄)」
となり、現在に至っているのです。
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