被害にあわれた皆様、家族の皆様には、
心からのお見舞いと、
被災地で亡くなられた方々、
被災地に救援物資を届けようとして
海保の飛行機の事故で亡くなられた方々の
ご冥福を心よりお祈りいたします。
不安な思いをされている方が、
少しでも心が楽になりますように。
昨日(1/2)は、
家からいちばん近い八幡神社と、
同じ須磨区ではありますが、
電車とバスを使って、
白川の「素戔雄神社」と「大歳神社」を
参拝しました。
ううう・・
まぶしすぎる
▲素戔雄神社・鳥居
素盞雄尊・櫛稲田姫尊とそのお子様方
正哉吾勝勝速日忍穂耳命
天穂日命
活津彦根命
天津彦根命
熊野大隅命
田心姫命
湍津姫命
市杵嶋姫命
小さな神社ですが、
力強さがあり、
また、地元の方によって、
ずっと大切にされ、
守られてきたことが感じられ、
とてもあたたかで、
安らかな気持ちになりました
ふるまっていただいた
おぜんざい。
美味しかった
からだもこころも
あったまり、癒され、
励まされました
「素戔雄神社」を参拝した後は、
そこから歩いて10分ぐらいの
場所に鎮座する
「大歳神社」を訪ねました。
▲大歳神社
大歳神社の主祭神は、大歳大神
配祀神は、素盞雄神・八幡大神
クスノキの巨木さんにも
会えました
こちらも、
田舎の神社を思い出す、
どこか懐かしい
大好きな雰囲気の神社でした
また来たい!
兵庫県神社庁のHPより
大歳神社の由緒を
引用させてもらいますね。
化石で有名な白川の郷は、楊梅の里としても名高く、偏狭の地ながらも古くより開け、楊梅を献上していた事は事実のようである。当社の創建年代は不詳であるが、丹波国より大歳大明神を勧請し、更に、長徳元年(995)に素盞雄神を相殿に勧請したと伝えられているので、それ以前に社は鎮座していたであろう。
(*楊梅(ようばい)=ヤマモモ)
延宝元年(1673)6月に左大臣兼濫以下の筆となった36歌仙の額が奉納されたが、明治10年(1877)2月29日の大火で焼失したといわれている。
昭和46年(1971)白川台ニュータウンの開発がすすむまで、神職は置かず、「神主番」にあたった氏子で神饌調理を行っており、今も各祭礼には「神主番」が準備をする。翁舞や天神講、伊勢講などの伝承行事も戦前まで伝えられていたが、今は跡絶え、現在境内地から白川台に移転した白川小学校内の郷土資料室に展示されている。
近隣にある高御座山は、雄岩雌岩があり、伊弉諾・伊弉册二尊が国生みの時、この岩山より北星を望んだといわれる古蹟で、常に岩上に水が湧き、「寿命水」として、17日間参籠して北星に祈れば、子を授かると伝えられている。
由緒に書かれている
高御座山(たかみくらやま)の頂にある
雄岩雌岩=夫婦岩。
今回、この二つ巨石がある
場所には行けなかったので、
今度ぜひ行ってみたいと思っています
「この岩山より北星を望んだ」
これって・・・
北極星信仰、真北信仰に
関係していますよね!